神林長平著・ハヤカワ文庫JA
「戦闘妖精雪風」のスピンオフ「ぼくの、マシン」が入っていたので購入。とはいえ、この短編はアニメ版の雪風が出た時に出た関連本に掲載されたときに読んでいます。
主人公深井零大尉のメンタルヘルスのカウンセリングで少年時代、零が自分のPCについて思っていたことが明かされる。
パソコンって、この20年で"パーソナルコンピュータ"から"ネットワーク端末"に代わりました。chromebookとかまさにこのお話しに出てくるネットワーク端末。ネットワーク上でさまざなな作業を行う。それが更に進化した状態になった時、端末は持っていても自分のものという意識はすごく希薄になる。
スマホもそう。仮に端末を失くしても、いろいろな情報をクラウド上に保管しておけば、端末を変えても同様の作業が継続できる。確かに便利にはなっているけど、自分のもの(データ)はどこにあるともしれないクラウド上にあり、目の前のインターフェースは別に何でもいい。考えてみれば不思議な話です。
言葉で会話ができるiphoneのsiri、最近相次いで発売されたAIスピーカー。こちらの言ったことに反応して来るこれらのものの進化は留まることを知らない。
表題作「いま集合的無意識を、」はエッセイ風の作品。夭折のSF作家伊藤計劃と名乗る何かに向かって神林長平は伊藤の作品『虐殺器官』『ハーモニー』について語る。亡くなってしまった新進SF作家と30年以上SFと向き合ってきた作家の<つぶやき>上での仮想のやり取りが興味深い。
自分が立脚する"現実"が本当に現実なのか。自分の意識は本当に自分の考えたものなのか。ネットワーク化が進みPC(スマホ含む)がないと夜も明けない人が多くなった。自分の知識をネットワーク端末に依存するようになったのは間違いありません。
昔は電話番号とか10や20は憶えていたし、友人の誕生日、好きなもののデータ、本やドラマ、俳優女優さんのデータなんていうのもしっかりと憶えていましたが、今や端末を開けばすぐに情報にアクセス出来たり、電話番号も携帯アドレスに記録しておけば覚えておく必要はない。自分の家の電話番号すら覚えていない若者もいるという。
外部記憶装置としてのネットワーク端末は明らかに人間の生活の中に浸透してきています。果たして良い事なのか。。
- 作者: 神林長平
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2012/03/09
- メディア: 文庫
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