みんなが感じた1文字だと思うので、これはこれで良い。ただね「絆」って、元をただせば、犬とか馬とかを(逃げないように)繋ぎ止めておくために綱の事。つまり相手の自主性を顧みず束縛するものってゆう意味なんだよね…。騎綱(きづな)とか、引綱(ひきづな)の"ひ"を略したもの。
切っても切れない人と人との結びつきという意味になったのは、最近の事。元の意味が分かるとこの文字を選ぶ事に躊躇してしまいます。
生きていると運命とも思える出逢いを感じる事はあるし、今自分のいるコミュニティ、会社や家庭や遊びの仲間にも運命を感じる事がある。少なくとも20歳までの"与えられた人生"ではなくて、いろんな意味で自分で選択してきた四半世紀だから余計にそう感じるのかもしれないけど。
ただ思うのは、そういう周りの人に"必要だ"と思われる人になりたいという事。いてもいなくてもかまわないというのでもよいのですが、少なくとも"いると邪魔"とか"いると困る"人にはなりたくないなぁと思う。
かといって、"いないと困る"というと、そこに私の自主性が無くなってしまうので、"私がいたいと想うところで私を必要に想ってくれる"というのが一番良い。
だから、相手にとっても、自分にとっても「絆」だと感じられる事が大切だと思うし、そういう思いがあれば、その「絆」を断ちたくないので人が見ていようがいまいが良い行いを心がけるのではないかと。つまりそれこそが「お天道さまはみている」という事になるんじゃないかと。お天道さまは、いるかいないか判らない"神様"なんかじゃなくて、絆を互いに感じる事が出来る存在だと思うのです。