日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

それぞれの3.11


 会社での朝礼で1分間の黙祷を捧げましたが、発生時刻の14時46分は気が付いたら過ぎてました。「風化はいけない」と、いつも思っている私ですら間違いなく日常が戻ってきています。


 3年前の今日はホントすごい日でした。ちょうど会社の9階にいて、棚は倒れるわ、突き上げるような揺れは収まらないわ、「ついに来た、関東大震災!」と思いました。ところが関東は単に余波を受けてのことで、被災の中心は岩手宮城福島の3県、太平洋側が甚大な被害だという。震源が海だったからその後津波がやってきました。死亡が確認された実に90%以上が水死といいます。いまだ行方不明者が2600人以上。これだけ甚大な被害が出、更に追い打ちをかけるように福島第1原発の爆発と、未曾有の大災害となってしまいました。
 

 阪神淡路大震災が、関西方面の人にとって切実に感じられたのに対し、当時関東以北の人にとっては正直実感を伴わないものでした。それとは逆に東日本大震災は、関東以北の特に太平洋沿岸の人にとっては、3年を経た今も多くの苦しみの中にあります。

 
 確かに自分もあの日、7時間をかけて帰宅した"帰宅難民"でしたが、翌日が休みで「徒歩で帰ってみるのもいい経験」位の、不謹慎ですけど軽い気持ちで歩き始めたのを思い出します。津波に呑みこまれた街で阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる一方で、まるで自分も被災者といわんばかりに徒歩帰宅をする態度はとても不謹慎だったと反省をしています。


 3年経っても仮設住宅で暮らす人がまだ80%もいるらしい。原発で住んでいた土地に戻れない人も多く、3.11が記憶として整理されて次の世代に引き渡されるまでまだまだ時間がかかります。
 たくさんの哀しみが癒える日がくるその日まで、自分にできることをしていこう、と想いを新たにする3年目の3.11でした。