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「GODZILLAゴジラ」を観た。

 公開から1ヶ月が過ぎましたので、そろそろネタバレ含む感想を書こうと思います。まだ観ていない人でネタバレ嫌いな人は、後日お立寄りください。



 今回の「GODZILLAゴジラ」は、下馬評も高く、CMやトレーラーで流れる画も東宝きぐるみゴジラを彷彿とさせる造形で期待十分。1998年初めてハリウッドでリメイクされたローランド・エメリッヒ監督の「GODZILLA」が巨大イグアナパニック映画というまがい物と違い、今回の「GODZILLAゴジラ」、かなり楽しみにしていました。

 ハリウッドで、東宝フォーマットをできる限り尊重したゴジラ映画が作られたというのは、ゴジラ好きな私的には喜ばしい事。ハリウッドで作るという事はマーケットが巨大なので破格の製作費を捻出できる。特撮は金が掛かるので製作費の多寡が作品の良しあしにも繋がってくる。日本での制作は低予算を心意気でカバーしていたw。見た目については脳内補完(ホントはこういう風に撮りたかったんだろーなぁとかはっきり見えるピアノ線は特撮ファンには見えないとか(笑))。
 そういう意味では、今回のゴジラの画はほぼ100点満点。CG技術の日進月歩はCGでありながらきぐるみ同様の"生物感"を表現していたし、ゴジラの巨大な感じもすごく良かった。だからゴジラ映画を見慣れておらずハリウッド映画のひとつとして観ている人は「日本のよりすごーい」とか「やっぱハリウッドだよね」とか手放しで称賛している声が多く、おかげさまで日本でも大ヒット。本家日本より2か月も前に封切られている海外でもかなりヒットしているらしく既に第2弾の制作も決定したとか。
 

 ただ私的には手放しで傑作と呼べる作品ではありませんでした。
 まずゴジラの設定。ゴジラは1954年、度重なる原水爆実験で深い眠りから呼び起されさらに奇形化してしまったという悲劇を纏って登場しました。第5福竜丸の事故がきっかけとなって作られた作品でもあります。後年、そういう設定が余り表現されない、単に怪獣プロレスのゴジラ作品もありますから、目くじら立てて言うほどでもないのですが、ここら辺が第1作至上主義の私としてはどうしてもひっかかる。
 勿論原爆を実戦に使って何十万人も殺し、更に戦後懲りずに原水爆実験をしていたアメリカが、自分たちの責任で異形の怪獣を目覚めさせてしまったなんて自虐的思考を持ち合わせるわけありませんから、「発見された太古の怪獣をやっつける為に原水爆実験と称して行っていた」ということになっています。
 第1作の東宝ゴジラで電車に乗るOLが「また疎開かぁ、嫌な世の中ね」と言ったりするのは、昭和29年という戦争の記憶もまだ生々しい時代だからこその言葉で、この言葉があることで荒唐無稽な怪獣映画が自分の問題として肌感覚での畏怖を感じるわけです。
 次にMUTOという敵について。
 ゴジラに寄生する昆虫型怪獣とでもいえば良いか。雌雄一対で出てきますが、印象はギャオスに近い。ゴジラ単体の物語では単調になりがちだから対戦ものにする事は観客を飽きさせない工夫ともいえるけど、実はドラマを見せるためにはA対Bの方が単純で観客には分かりやすく、詳細を描ける。ゴジラ映画でいえばゴジラ対人間という図式が本来あるべき姿じゃないかと思うのです。だからむりやりMUTOをドラマに介在させることに余り意味を感じない。しかもギャオスよりかっこ悪い。アメリカ人は昆虫型宇宙人とか好きだからかっこよく映るかも知れないけど。しかも怪獣同士のラブシーンは見たくありません。夫婦怪獣だったら「帰ってきたウルトラマン」のシーモンスとシーゴラスの物語の方がぜんぜんいい。
 結局、私的に一番大きな問題は脚本です。
 とってつけたような中途半端な家族愛。テーマと呼べるほど深い描かれ方がされているわけでもない。ゴジラは、平成ガメラ同様の「地球の守護神」のような扱われ方であるもののガメラほど出自を明確にしていない。ムートーの、自分たちさえよければ回りなど関係ないとばかりの利己的生き物ぶり。風刺もテーマもなく、じゃ「キングコング対ゴジラ」みたいに純粋に怪獣プロレスとしての爽快感は…と言えばそれもない。すごくりっぱな外見を揃えているばかりに、よけい中身のなさが浮き彫りになってしまうという皮肉。私が思うような「そんな小賢しい脚本では世界のマーケットでは通用しない」のかもしれません。しかし頭よさそうなフリして実は莫迦というのが一番始末に負えない。お莫迦映画ならお莫迦映画でよい。そうじゃないなら、ちゃんと主張すべきテーマを明確にしてそれに沿ってキャラクターを動かしていって欲しいなと思うのです。

 見た目だけはよいので、次回に期待です。しかし、ハリウッドではやっぱり駄目なのかなぁ…。