太平洋戦争、大東亜戦争。私的には大東亜戦争が一番しっくりときます。戦後72回目の終戦記念日を迎えた今日は、72年前の抜けるような青空ではなく、降ったりやんだりの曇天の空でした。
戦争が終わって、20年経ってから生まれたので、リアルな戦争の記憶は当然なく、戦後様々な形で報じられたもの、しかも直接戦争体験者から見聞したものでは殆どない為、"戦争(三次)記憶"ということになると思う。
自分の中にある大東亜戦争は、戦争はよくないもの、という一貫した思いはあるものの、どちらかといえば日本がいけない戦争をした、侵略した、国内外の多くの人がこの戦争で苦しんだといった、自虐的なものでした。一面では、正しいことではあるけど、本当に全部日本が悪いのか、日本はどう考えても国力の差が歴然の巨大なアメリカに対して戦争を仕掛けなければならなかったのかがどうしても引っかかるポイントでした。
恐らく、そういった自虐史観の教育は案の定真実を歪めて伝えられており、少なくとも開戦に至った経緯は、単なる領土拡大の野望ばかりではなく、アジアの片隅の島国、白人至上主義の世界の枠組みの中で、どうやって世界の強国と肩を並べることができるかという国としての在り方を希求した結果であると思います。当時は、列強がアジア各地に植民地を作り搾取の限りを尽くしていた時代。領土拡大は時流であって責められる筋合いではない。フランスイギリスなどその急先鋒で、大航海時代から様々な国を侵略してきた。そういう時代だった。でも搾取される側だと思い込んでいたちっぽけな島国が、日清日露と大国相手に対等に戦い、中身はともかく勝利した結果、欧米は看過することができなくなってきた。
アジア人によるこれ以上の勢力拡大を望まない白人社会は国際連盟として満州事変に介入し一方的に日本を非難、対日経済制裁(ABCD包囲網)が行われる。資源の少ない日本は、これに抗議したものの多勢に無勢。だいたい、てめーらが好き勝手にアジアを蹂躙してきたくせにいざ日本がやろうとするとよってたかっていじめる。そこで窮鼠猫を噛む。もっともそうなることを予見して、先に攻撃をさせて世論を醸成してから開戦するというアメリカの狡猾さも見逃せません。
いろいろな事実の積み重ねなので、どっちが正しいとは言えませんが、少なくとも日本"だけ"一方的には非難される謂れはありません。ただ日本人である以上、必要以上に戦勝国側の論理で判断するのはやっぱり間違っていると思うのです。
現在の北朝鮮に対する国連の態度も似てはいます。核兵器を持ってる国が、「おまえら持つな」というのはちょっと違うと思う。勿論正しいことではない。でも、一言で言ってしまえば「お前が言うな」である。とりあえず自分の核兵器を捨ててからもの言え。おととい来やがやれ、です。
とはいえ、北朝鮮の挑発的な態度はあまりにも危険だし、核を単純に抑止力として考えているのか実際に使うつもりかよくわからないのと、ミサイルのボタンをたった一人の独裁者が握っているというのも心配なところ。
戦争をして辛い目にあうのは、非戦闘員である国民。その一点においてのみ、一貫して戦争は反対だし、勝手に領土・領海をわがものにしようとするのもやっぱいけないこと。そういった意味での不戦の誓いはありです。問題は相手がそう思っておらず、非戦闘員など単なる人質くらいにしか考えていないから、やはり守るべき力は必要。九条だけで守れるほど近隣諸国は甘くない。