日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

「昭和40年男増刊 俺たちの時代 Vol.5 1983-1985」

俺たちの時代(4) 1980-1982 2017年 11 月号 [雑誌] (昭和40年男 増刊)
隔月刊「昭和40年男」の増刊号もvol5。今回は1983・84・85年。昭和でいうと58年、59年60年。高校卒業を経て浪人、大学2年まで。
時代的にはバブルの胎動というか、徐々に浮かれ始めていた時代でしたが、個人的には、あんまし明るい時代じゃなかったんですよね。大学滑って予備校通いになるし、入った大学も第1志望じゃなかったし、1年尾時は実家から通ってて、通学時間ばかりかかったので、とにかく本をいっぱい読んで、映画をたくさん見ましたが、世俗の流れからは取り残されてました。
 大学2年になって、アパートで独り暮らしを始めましたが、6畳一間トイレ付風呂なしで、とにかくお金がなかった。部活もやっていたので、遊ぶお金は深夜のコンビニバイト。謳歌というには程遠い"青春"時代。。
 大学に入った年に、CDが出始めた。とはいえ、プレイヤーはまだ高価で、まだレコードが主流でした。初めて買ったレコードは覚えていますが、初めて買ったCDは何だっただろう…。
 同級生の間で、ファミコンがはやったのもこの頃。58年にファミコンが発売されて、浪人中だというのに高校時代の友人の家にいって、遊んでましたが、大学に入ってからは、ちょうどスーパーマリオブラザースが1985年(昭和60年)に発売されて品薄状態の中入手した友達にやらせてもらいました。とはいえ、難しくてなかなかクリアできず、いまいちハマりませんでした。自分でファミコンを買ったのは、先輩がやっていたドラクエを見せてもらって終わってから借り、ドラクエ2から本体を買いました。大学3年生だったか。4年の時は卒論もあるのにゲームばっかりやってました。

 TVアニメ「みゆき」のエンディングH20『想い出がいっぱい』が1983年。今再ブレイクしている荻野目洋子『ダンシング・ヒーロー』は1985年。H2Oは「想い出がいっぱい」よりも「TVドラマ「翔んだカップル」エンディング『僕等のダイアリー」の方が好きでした。
 この頃はベストヒットUSAを始め洋楽全盛でした。私でさえ、シンディ・ローパーのアルバムは「She's So Unusual」以来出るのが楽しみなほどでした。
 プロレスも面白い時代でしたが、わたしはあんましハマらなかったなぁ。

 一人暮らしを始めて忙しかったけど自由を楽しんでいました。しかし、カミさんと付き合い始めたのは、86年になってからだから、女っ気は皆無でしたね(^_^;)。暗黒時代。楽しかったけどね。