日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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あぁ東海林先生逝く


作曲・編曲家の東海林修さん死去 「可愛いベイビー」

 「可愛いベイビー」など人気歌謡曲のアレンジから吹奏楽、アニメ音楽の作曲まで幅広く手がけた作曲・編曲家の東海林修(しょうじ・おさむ)さんが4月30日、悪性リンパ腫のため死去した。85歳だった。葬儀は家族で行った。■60〜70年代に「可愛いベイビー」(中尾ミエ)「危険なふたり」(沢田研二)やグループサウンズの曲を多く編曲。テレビ番組でも活躍し、「シャボン玉ホリデー」の音楽や「笑点」のテーマの編曲も手がけた。作曲でも「愛の肖像」(野口五郎)などがある。■72年にNHKの音楽番組「ステージ101」で発表された合唱曲「怪獣のバラード」を作曲。77年度全日本吹奏楽コンクールの課題曲として作曲した「ディスコ・キッド」は、今も広く演奏されている定番。シンセサイザー作品の先駆者としても知られ、81年の劇場用アニメ「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」の音楽を担当した。(5/7(月) 17:25配信 朝日新聞デジタル


 初めてお逢いしたのは、2009年1月、NEC玉川事業所ルネッサンスシティホールで、翌日に控えた「さよなら銀河鉄道999」の吹奏楽版のリハーサルの場でした。翌日、みなとみらいホールでの本番では、一人ひとりに薔薇の花を手渡しで頂いて、なんとダンディな人なんだと思いました。その後「さよなら銀河鉄道999」の「戦いの歌」をやるときは必ずいらしていただき、同じように薔薇の花を頂きました。
 最後にお会いしたのは、昨年10月浦安市文化会館 大ホールで行われた『ディスコ・キッド40周年記念イベント「東海林修フェスティバル」』でした。
 私の中で東海林先生は、吹奏楽をやっていなかったので名曲といわれる「ディスコキッド」は知らず、もっぱら「さよなら銀河鉄道999」と80年代次々と出ていたシンセサイザーを使ったイメージアルバムの人でした。もう少し上の世代ですと歌謡曲のアレンジャーとしての仕事が有名。沢田研二「危険なふたり」フォーリーブス「急げ!若者」、GSのザ・タイガースザ・ワイルド・ワンズの局を多数手がけていたそう(ここら辺はさすがにおにーちゃんおねーちゃんたちの世代)。
 ファンを大切にし、奏者を大切にし、毎回快くサインをして頂きました。
 毎回来て頂いていましたから、また次回あれば当然そこに東海林先生に来ていただけるものと信じていました。年齢を考えればかなり無理をしていらして頂いていたんですよね。
 
 ここ数年相次いで父母を亡くし、命は永遠でないと知っていたはずなのに、こうして何度もお逢いしたことのある方の死に際し、またも、もっとお話ししておけばよかったのに…と後悔しきり。
 人生なんて後悔の連続です。。

 素晴らしい音楽をありがとうございました。間違いなく東海林先生の音楽を私の人生の1ページに刻まれています。
 そうまさしく青春の幻影のように…。