山田正紀著・ハヤカワja文庫
多分再読。30年以上前に読んでるはず。
情報工学の天才、島津は石室に刻まれた謎の文字を調査中に落盤事故にあう。古代文字の解明に没頭した島津は、それが人間には理解不能な構造を持つことをつきとめる。この言語を操るものは神なのか。
神社や教会や、個人の家にも神棚や仏壇があって、神の存在なくして人は生きられない、といっても過言ではないと思う。思いもよらぬ良いことがあれば神のご加護と思う一方、今年沢山起きた自然災害などは神も仏もあるものか、と思う。
では神とはなにか。
ここからはあくまでも私論ですのでそうじゃない、と思う人もいっぱいいると思います。
私は、願いを聞き届けてくれる神はいないと思っています。「サイボーグ009-天使編-」の人を作りしもの、という意味が一番正しい。進化論も信じていないので、何らかの"種子"が地球に播かれた結果人ができた。人は人としての成長をするけど、それは猿が進化したものではあくまでも人は人として生まれた。
農家が作物を育てるように、畜産家が牛や馬を育てるように愛情を込めて育てはするけど、個々の作物や豚牛の願いを聴くことはない。「神狩り」でも神の存在を知らしめるよう、人間には扱えない<文字>を人の前に提示をする。それはあくまでも知らせる為であって、それを解読したからといって神の世界に行けるわけでも神と同等の力を得ることもできない。神は気まぐれで、能力的には人を超越した存在であっても、人を越える慈愛に満ちた存在ではない。
人を人たらしめるのは、"よりよく生きる"という人の想いしかない。それこそが人の考える"神"であって、超越存在や造物主と同一視することはできないと思います。
様々な作品で相対する神は神ではない。
改めてそれを確信した作品です。
(読んだのは旧版ですが、活字が小さいので改版版をご紹介)
- 作者: 山田正紀
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2010/04/05
- メディア: 文庫
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