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死霊狩り【ゾンビー・ハンター】〔全〕

死霊狩り【ゾンビー・ハンター】〔全〕 (ハヤカワ文庫JA)
平井和正著・ ハヤカワ文庫JA

「死霊狩り」は、昨年9-11月kindleで再読したばかり。その時にあらすじに触れておりますので、気になる方は以下参照ください。
 「死霊狩り1」http://d.hatena.ne.jp/hee/20170905
 「死霊狩り2」http://d.hatena.ne.jp/hee/20171011
 「死霊狩り3」http://d.hatena.ne.jp/hee/20171128

 ゾンビ―ハンターを最初に読んだのは高校生の頃。多感な時期に、著者いうところの「人類ダメ小説」、人類は救いようのない狂った種であるということを、散々吹き込まれた私。その後の人生で自分も含め人類の可能性をまったく信じられませんでした。
 この小説の最後のあとがきで「人類ダメ小説の終焉」を宣言し、平井和正はかつて石森章太郎と共著した「幻魔大戦」のリライト小説化を開始します。そこは根源悪"幻魔"に対する人間の善なる魂の結集を謳った傑作でした。
 
 人間もすてたもんじゃない。

 少しはそう思うようになりましたが、刷り込まれた人間の悪辣さ、狡さ、暴力性は、全てではないにせよ誰しも持っているものという事実はなかなか拭い去ることはできず、現在も、正直、他人を100%信用することは絶対にありません。
 頼んだことをやっていない、考えられないような思い違いをしているにもかかわらず悪いのはこっちのように言われる、自分が悪くても他人のせいにする人、平気で盗む人、殺人を犯す人。自分の常識が他人に常識と違う事が判らず、攻撃性をもって接する人。巷に溢れる事件に限らず、身の回りでも嫌な事が多い社会。国と国との諍い事もいつまでたってもなくなりません。
 信頼に足る人は、なかなかいません。だから付き合いは自然と狭くなります。とはいえ、信用をしないからといって社会を拒絶して生きていくことはできません。悲しいけど、なにか問題が起こっても信用した自分が悪い、と思うようにしています。

 主人公のゾンビ―ハンター田村俊夫は、ゾンビ―に憑依された恋人ジャンジーラに最愛の姉を惨殺されます。その後ゾンビ―容疑のかかった加賀邸の人々と触れ合うことで、憎きゾンビ―が単に狂暴な存在ではなく、憑依した人間の暴力志向と憑依の不完全さによって狂暴性を発揮することを知る。一方でゾンビ―機関の司令官"S"は、ゾンビ―排除の為に何千人もの同胞を殺すこと躊躇しない。

 人間は、元々不完全な存在である、というのは「人造人間キカイダー」の漫画版でも語られていましたが、不完全であることを自覚して協力をしあうことの大切さを理解する事や、自分も相手も不完全であるという事を理解した上で付き合えば、波風は立たず多少の事に目を瞑ることができます。意外と自分は完璧だ、自分は正しいと思っている人が多い事が問題で、そういう人の誤った正義感が諍いの元になっているケースが殆ど。

 少なくとも自分は他人に迷惑を掛けないようにしようと思って生きています。例えば、時間を守るとか、頼まれた事はちゃんとやるとか、できない事は引き受けないとか、そういう小さなことの積み重ねによって、嵐の矢面に立たないようにしています。それでも様々な攻撃を受けることがあって、なんだかなぁと思うことがあるのだから、本当に嫌になります。


 「死霊狩り<ゾンビ―ハンター>」は、表面上はSFバイオレンス小説ですが、それ以上に読んだ人の生き様まで変えてしまう名作です。人類ダメ小説という側面を持ちつつ、その可能性は否定しきれていないのが商業誌デビュー作の「レオノーラ」から続く平井和正作品でした。


 「闇がなければ星は光ることはない」と平井和正は言っていました。全くの闇の中の小さな光。それが人間なのではないかと思います。願わくば自分もその光に近付こうとするマッチの灯たらんと、日々思い生活をしています。


死霊狩り【ゾンビー・ハンター】〔全〕 (ハヤカワ文庫JA)

死霊狩り【ゾンビー・ハンター】〔全〕 (ハヤカワ文庫JA)


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