日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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現実と虚構

 映画は”ノンフィクション””ドキュメンタリー”と銘打たない限り、すべて”ドラマ”、フィクションです。
 昨日映画を観てから、ネット上を色々と検索をしてみましたが、「Fukushima50」は、あまりにも真に迫っているので、”ノンフィクション”と思われてしまい、その視点での批判が凄く多い。ハリウッド映画でも、現実の事故、事件に材をとったものは多い。それでもこの映画の批判的論評をみると、どうもそこらへんの区別がついていない人が多いような気がします。
 私も、原発事故の事は一般常識レベルで知っていたものの、この映画に関する一切の予備知識なく、観終わってからネットで情報をみました。この手の映画にありがちな「事実と違う」「総理の描き方が極端」「英雄視されている吉田所長がかつて防潮堤の高さを10mを容認していた」「家族を描くのは余計」と、感動に水を差すものばかり。
 正直言うとそれらは大切な事かもしれないけど周辺の事だし、映画は完全なノンフィクションではない。ノンフィクションが見たければ、NHKスペシャルかドキュメンタリーを見ればよい。
 この映画は、予期せぬ混乱を前に、現場で頑張った人がいたことを描いているだけ。愛する土地、愛する家族を守る為に戦うというのはどういう事か。上位者に忖度し、ご機嫌を取る事じゃない。勿論そういう”政治”ができる人が出世をするのが世の常で、忖度された上司の出世に合わせて引き上げてもらい、より高い地位に就き高収入が得られる。でも本当にそれがよいことなのか。本当に生きるという事はどういうことか、守るという事はどういう事かを、事実をベースにしたフィクションという形で、観客に訴えかけてきます。
 事故からまだ10年に満たない現在、「まだ被災者(被害者)がいるのに時期尚早ではないか」という意見もありました。でもこんなに頑張った人がいたということをどれくらいの人が知っているんだろうか。少なくとも私は新聞以上の事は知らなかったです。それを知ってもらう事だけでもこの映画の作られた意味があると思います。勿論、東電や官邸、政府の不手際はありますが、それをことさら声高に非難するというのはこの映画のあるべき姿ではないと思います。また、頑張った人がいたからといって東電や当時の政府の罪が軽くなるものでもない。そこら辺をしっかりと踏まえて、ただ画面に映る”頑張った人たち”に涙するのは決していけないことではないのではないかと思います。

 「そもそも原発を推進したのは自民党」だとか「第1次安倍政権時代に原発の安全性を軽視した」とか「菅首相(当時)は、東電から正確な情報が伝わらなかった為に現場視察を強行した(だから悪くない)」とかいう批評に対しては、もう現実と虚構をいっしょくたに考えてる愚評です。いやいや映画だってば。
 よくできているからこそ、チャレンジングな内容だからこそ出る反対評と捉えて、まずは、渡辺謙佐藤浩市をはじめとする現場の人たちに涙せよ!

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映画『Fukushima 50』予告編(90秒)