先日のTSUTAYA半額!キャンペーンの時にコンプリートした
「新選組!」を見ていて、
新選組(このときは単なる浪人集団)が京に上る時、
東海道ではなく、中山道を使っていて疑問に思いました。
中山道は、日本橋を出て、
板橋を第1宿として、北へ、
本庄(今の埼玉)、群馬県を通り、長野へ、
なんで京都に行くのにこんな遠回りするわけ?
全然逆方向からのアプローチじゃん。
と思ったのです。
ところが、
いろいろ調べてみると、
東海道は、京都三条まで、
126里半
中山道は、同じく、
129里
ということで、
2里半(今の10km位)しか違わないらしいです。
その上、東海道は、箱根の関所やら
大井川の川渡しなど、人為的につくられた難所があり、
一方の中山道は、山道なので大変だけれど、
碓氷峠が一番の難所という程度で、
江戸時代は、女子供が京に上るときは
もっぱら中山道を使ったそう。
なるほど、現在からは見えないものが
歴史にはあるんだなぁと関心した次第です。