日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

というわけで「のだめカンタービレ最終楽章・後編」を

カミさんと観に行ってきました。
昨日も書きましたが、オーケストラを映画館の立体音響で聴くって意味では「あり」だと思います。ストーリー的には、勿論TVからののだめファンですから面白くみることはできました。が。別に映画館で見るほどのものはないかと思います。TVで十分な内容。映画って事もあり、CGもたくさん使っていたり、お金は掛かっていますけど。
しかしながら最後まで見て、これは少女漫画の皮を被ったとんでもない話なのではないかという思いに囚われたのは私が"煩悩のかたまり"だからなのでしょうか?
以降、更にネタバレに進むので、これから観る!って人は観てからご覧ください。また、ちょい卑猥な考えなので、そういう考えもあるわねとおおらかな気持ちで見ていただける大人の方(笑)って条件でお進みください。つーかパスワードもかけずに公開してる段階で無理かもしれないけど…(^_^;)。ま、いいか。


そもそも崇高な芸術と下の話を一緒にすること自体、いけないことだとは思うのですが…。一方で、芸術と淫猥さって「アマデウス」を見ても紙一重だよね、と思ったりすることもしばしばあったりして、そういう俗物の目線っていうのも一理あるような気がするんです。。。
で、今回のお話では、まず、天才中国人ピアニスト、孫(ソン)・ルイと千秋が、のだめが千秋と共演したがっていた「ラヴェル:ピアノ協奏曲」を先にしてしまうというシーンがあります。ルイと千秋の共演に、のだめは2人の間にある種の共感を見てしまいます。羨望と嫉妬と失意と…いろんな感情がない交ぜになったのだめは、オクレール先生がゆっくりと育てようとしているにもかかわらず、その意味が理解できない。シュトレーゼマンは、早く千秋と同じ舞台に立ちたいが為に焦るのだめに対し、共演を誘う。
ショパン:ピアノ協奏曲」をシュトレーゼマンと共演するのだめ。勿論千秋はそれを客席から眺める。
この2つの共演とその後の流れを、情事に喩えるとすごくしっくり来るのですよ。
愛する美しく優秀な男。その彼と自分は釣り合わない。その彼の前には、彼に相応しい美しくて能力のある女。自分の目の前で、彼と彼女はお互い歓喜を持って目合う。エクスタシーに酔う2人。いや、少なくとも彼女にはそう見えた。羨望、嫉妬。そこにいるのは、私のはずだったのに。
だから、彼女は、狂い、突然彼にこういうのです「私と結婚して」
でも、彼は、何故いきなりのだめがそんなことを言うのか意味がわからない。やがて彼女のそんな心の隙間に入り込むように老獪な紳士が近寄ってくる。「私がその世界をおしえてあげよう」狂った彼女に冷静な判断は下せない。悪魔との契約。そこで、彼女は、めくるめく歓喜の体験をする。「こんなにすごい体験はもうできない」彼女は、体験して初めてその大切さに気がつく。やっぱり最愛の彼とすべきだったと。
でも、大人になるということは、更にその先の世界があるということ。それに気がついた時少女は本物の女性に変わっていく…。
こういう下種なことを考えるなんて、やっぱいけないかなぁ。
(今回については、コメント不要です。書いて戴いてももちろん結構ですけど。コメントではなくひとこと言いたい!という方がいましたらメッセージorメールにて戴けると嬉しいかもしれません。。。)