私たちの世代では、角川文庫で緑の背表紙生頼範義の表紙絵でした。ほぼすべてこれで読んでました。その後、徳間文庫で結構出て、文春、集英社、廣済堂などからも数冊、後年はハルキ文庫で旧作が再刊されていました。
文庫化されたものでほぼすべて読んでいます。
初めて手に取ったのは、小学生のころでしたが、特に高校時代、多感な時期に小松作品を読み漁っていました。60年代前半から執筆活動をされていたようですから、私なぞは完全に遅れて入って行った小松ファン。「SF」小説と、まだかっこ書きで呼ばれる恐らく最後の時代だったように思います。
「日本沈没」「復活の日」「日本アパッチ族」「果てしなき流れの果てに」「こちらニッポン…」…、自分の読書体験でベストテンを選ぶとしたら、複数入ることは間違いありません。
小松左京の小説は、「明日泥棒」「ゴエモンのニッポン日記」のような柔らかいものから、「虚無回廊」「日本沈没」「首都消失」のような文明批評、社会批評的なハードなものまで、とてもバリエーションに富んでいて、しかも外れがなく安心して楽しめました。私は社会批評的な作品「日本沈没」とか「日本アパッチ族」「こちらニッポン…」が好きで、自分の中では勝手に"日本三部作"と読んで偏愛していました。これらは出版社が変わって再刊される度に買い、更にそれぞれ最低2回は再読してます。「日本沈没」が一番多いかな。
小松左京に出逢う前は、圧倒的に有能な個人がSF的シチュエーションの中で活躍する作品を好んで読んでおり、それはそれで楽しかったのですが、小松作品にはヒーローがいなくて、一般の人が自分の力や仲間との出逢いによって、困った状況になった世界で精一杯生きていこうとする物語が好きでした。
行き過ぎた科学、人間関係の歪み、政治の混沌、宇宙への憧憬、それらがサイエンスフィクションの衣を纏って、私たち読者にグサグサと突き刺さってきました。世の中をシニカルな視線で眺めながら、それでも日本が好きで、与えられたポジションで一生懸命生きていく、という自分の今の生き方の数%は、小松作品によって作られたと行っても過言ではありません。
もっともっと活躍してほしかったのですが、2006年、「日本沈没 第2部」が出版された時、一人で執筆すらできない状態ということを知り、残された時間が少ないことは薄々感じてはいましたが、いざ、別れの時が来ると、やはり哀しいものです。
最近は、なかなか小松作品を本屋さんで見かけることが少なくなってきました。今だからこそ、いや、いつの時代でも小松作品は色あせることはありませんので、まだ手に取ったことのない人がいましたら是非読んでほしいです。
改めて、
小松左京先生、ありがとうございました。ゆっくりとおやすみ下さい。