裁判所には幸か不幸かとんと縁のない生活を送っていますので、私にとって法廷はフィクションの世界。事務的で堅い世界と思われがちなこの場所で、稀に裁判官だって人間だもんなぁと思わせる言葉が発せられる。この本は、被告に対して語られるユニークな言葉を集めた本です。
まず最初に出てくるのが次の言葉。
「唐突だが、君たちは、さだまさしの『償い』という唄を聞いたことがあるだろうか。この唄の、せめて歌詞だけでも読めば、何故君たちの反省の弁が、人の心を打たないかが分かるだろう」
傷害致死容疑で起訴された2人の少年に判決を読み上げた時、判決理由を述べた後言った言葉です。
この事件は、2001年三軒茶屋駅で酔ったサラリーマンと脚を踏んだ踏まないの口論の挙句、仲間数人で取り囲み殴る蹴るの暴行を加え、数日後暴行原因のクモ膜下出血で死亡した事件。確かにそういう事件ありましたね。法廷で、少年たちは、「申し訳ない」「反省しています」「深くお詫びします」と謝罪の言葉を繰り返すが、淡々としていて人ひとりの命を奪ったとは思えない態度。それを見て裁判官が発した言葉で、TVでも話題になりました。
さだまさしの償いは、交通事故で人を殺めてしまった少年が毎月被害者の家に送金するという内容の唄です。youtubeにあったので貼っときます。
人が人を裁くというのは、単純なものじゃない。六法全書にYes・Noと書いてあるのなら、コンピュータに過去の判例も合わせて全部突っ込んで判断されればよいけど、そうならないのは、単に法律を犯した事の是非だけで判断できるものではないからだ。
ある日花壇に水やりをしなかった子供が先生に怒られたそう。「毎日花壇に水やりをするのはクラスで決めたこと」みんなの約束事は守らないといけない。でも彼は必要ないと思った。なぜならその日は雨だったから。これ実話らしいです。
法律を運用する裁判官が、どんな思いで判決を考えたか。そういう人間的魅力を垣間見せる事はあまり誉められたことではない。たくさんの事案を抱えた裁判官は、もっとも頭を使い、忙しい仕事の一つだろう。でも、だからこそ、罪を犯した者に対し、真剣に向かい合った証がみたい。人が人を裁く理由がそこにあると思う。
お勧め。

- 作者: 長嶺超輝
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