「分からない」「苦手」
趣味のレベルであれば、それで構わない。でも、仕事となると話は別。分からなかろうが、苦手だろうが、やらなければ先に進まない。そうやって、自分も(泣きながら)いろんな事を覚えてきたし、だからこそそういう苦労はすべきだと思う。
でも、最近は、分からない事から逃げ、苦手な事を避けようとする人の如何に多いことか。平坦な道を歩いていても、ぬかるんでいたり、石に躓く事がある。それを、避けていては時間ばかりかかってしまう。一度ぬかるんだ道を歩いたら、次の為に長靴を用意しておく。小石に躓いたら、次は躓かないようにバランスを取る。そうやって自分のスキルを一つづつ身につける事が大切なのであって、避けていたのではいつまでたってもそういうスキルは身につかない。
小刀が危険だと、肥後守を持たせなくなったり、マッチは危ないからといって遠ざける。その結果、鉛筆すら削れず、リンゴの皮もむけない。マッチで火をつけることすらできない人間が出来上がる。
機械は確かに便利。本来人間が学習に寄って身につけていた能力を肩代わりしてくれるから。でも本当にそれでいいんだろうか。ちょっとの学習で身につけられる能力を、「分からない」「苦手」という理由で遠ざけることで失われてしまう(身につけられない)能力。
計算が苦手だから計算はPCにやらせる。暗算1級の人よりも早く、凡人の私が計算できるのは確かにPCのおかげ。そうして本来計算に割く時間をロジックに充てる事が出来る。でも、そのPCさえ使いこなせないとなったらどうだろう。結局効率の悪いやり方で進めないといけない。それで、良しとしているのはどうしても解せない。
「分からない」「苦手だ」という言葉は逃げでしかない。分からないなら分からないなりに自分でどうすべきか考える。考えて考えて一番効率の良いやり方を見つける。それが人としての真価であり、進化だと思う。