日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

あぁ47回目の誕生日も何事もなく過ぎてゆく…。

 ケーキもなく、ご馳走もなく子どもたちは部屋に籠り、おめでとうの一言すらない。カミさんはTVを観る。自分は自分で勝手につまみを作って呑んでる。平穏な日々が一番のプレゼント。。。
 
 しかし、昔の47歳は、もっとしっかりしてたような気がします。それがどーだこの"ちゃらんぽらん"さは。いつまでも若いつもりでいても、最近は、皮膚も水分が抜け、カサカサ。髪は、量はあるけど昔より細く、そして白いものが結構増えてきた。眼は近くのものが見えなくなって、細かい字を追いかけるのは、大変厳しい。食欲もそれほどなく、睡眠欲もそんなにない。一応寝るけど、何時に寝ても大体5時くらいには起きちゃう。性欲はないわけじゃないけど、昔ほどじゃない。もうね、気分的には仙人です。
 正直、人生もういいかなぁと思う事がよくある。とはいえ自殺否定主義者なので、自殺をするとかは全く考えていません。例えば病気になってあと1年とか言われたら延命のための治療とかしないで、そのまま受け入れたい気分。入院して、病院で管を繋がれた状態で死ぬよりも、痛止めを飲みながらできるだけ普通の生活がしたい。カラオケとか酒とか、仕事も映画を観るのも本を読むのも全部普段通りに。そんで、みんなにちゃんと「じゃーねー、先にいってるよ」と挨拶して逝きたい。
 そうやって最期の日を迎える。できれば読んでる本は途中じゃない方がいいな。だから最近は何十巻も続く超長編小説は読まない。「ペリー・ローダン」なんかもってのほかだ(わからない人ごめんなさい)。
 全ての欲が無くなってるわけではなくて、一日々々を悔いなく過ごしたい。そういう感じ。そういう生活を心がけていれば「夕べに死すとも可なり」なわけです。
 手塚治虫も「火の鳥」を完結させることなく、また、石ノ森章太郎も「サイボーグ009」の完結編を描かずに逝ってしまった。結局、自分が楽しんでいるものの殆どは自分より年上の人が作っていて、病気しなくても順番で考えれば、大体先に逝かれてしまう。好きな作家さんを追いかけていても、結局最後まで追いかけることできない。キャラクターグッズを集めても全てを収集することなんてできない。そういう虚しさの中で人が生きている事を自覚するからこそ、1日を悔いなく生きていたいと思い、そういう積み重ねがあれば、一生はしあわせに送れると思うのです。あくまでも自分の独りよがりな考えですが。
 とはいえ、いろんな人との出逢いは、生への執着を生む。生きていると新たな出逢いがたくさんあって、そういう出逢いが自分を成長させてくれていると実感する事が多いです。そういう意味では、"新しい出逢いが楽しくて明日も生きる"という感じもあります。
 仕事に関していえば、現部署に異動になって今年で11年目、過去から現在までいろんな経験を積んだことで、もっと思い通りにやってみたいという気持ちがあります。サラリーマンなので、「やれ」と言われれば自分の考えに反することでもやります。でも殆どの場合、効率優先だったり、「突拍子もない」施策で全然先のことなんかみていないものが多く、日々疑問の毎日。サラリーマン管理職というのは「自分がそこの席に座ってる期間さえよければそれでいい」的な思考になっていくものなのか。確かに「自分の時代は悪くても、これを続けることで必ず10年後にはよくなる」的な長期的視野に立っている人はほんの一握りです。そりゃそーだわな、自分の時代に成果を挙げてステップアップするのがサラリーマンだから。それにしてもそういう近視眼的な動きに頭に来る事が最近よくあります。でも、しょうがないんでしょうね。サラリーマンという人種はもともとそういう人種なんだから。自分が捨石になっても信念を貫くなんていう考えの私は、さぞ扱い難い部下なんでしょう…。
 とまぁ、そんな事を考えながら、次の歳に向かって、今日からまた歩みを進めるのです。
 皆さん今年もいっぱい遊んでくださいねー(^^)v。