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映画「サイボーグ009」 を観る。

 昨日も書きました「サイボーグ009」。映画は3つあります。1966年の「サイボーグ009」翌年の「―怪獣戦争」、そして1980年の「―超銀河伝説」。60年代の2本は、1時間弱の中編、「超銀河伝説」は2時間10分の長編。今日は休みだったんで、3本連続で観ました。この中では、「―怪獣戦争」が一番面白かったです。↓予告編です。

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 TVシリーズは白黒作品だけど、主題歌はこの映画版を踏襲し♪赤いマフラーなびかせて〜、と言う歌詞。子供ながらに「グレーじゃん」と思ってましたわ(笑)。TVシリーズの前に制作された最初の2本の劇場版は、009が白のコスチュームに赤いマフラー。キャラクターの造形は、TVと映画は異なりますが、要は「想像してねっ」ってことなんでしょう。

 それにしても、80年代の「―超銀河伝説」よりも旧劇場版2作の方が良くできているとはどういう事?確かに、枚数が少ないので動きはぎこちないし、時間的に説明不足の感はぬぐえないし、あの時代特有の寒いギャグ(主に子供造形の007が担当)はあるけど、サクサク進むお話は、集中力を途切れさせることなく物語世界に引き込みます。ドルフィン号飛行中に「レインボー戦隊ロビン」が出てきて挨拶したりするうれしいシーンも(せっかくだから共闘すれば良かったのに)。特に「―怪獣戦争」は、原作の中でも名作の「地下帝国ヨミ編」に「ミュートスサイボーグ編」「暗殺者編」の要素をほんの少し絡め、上手くまとめています。敵のスパイ、ヘレナとの戦いで「女の子は女の子らしくしていた方がいい」と、今だったら女性差別とか言われそうなセリフを009が吐いても、当のヘレナは「負けたわ、負けたわ〜」といって泣きながら去っていく。なんていい時代!難点は、この可愛いヘレナの声を「家政婦は観た」の市原悦子がやっている事。どうしてもあの顔が思い浮かんじゃう。そういえば「太陽の王子 ホルスの大冒険」のヒロイン。ヒルダも市原悦子だ…。

 「−超銀河伝説」は、80年代アニメブームの真只中に作られました。前年には「銀河鉄道999」、春には「地球へ…」と、期待以上の出来だったのになんだこれは?009の良さを生かすのは宇宙ものじゃないのに、世の宇宙ブームに乗っかり、舞台を宇宙にしたところでまず駄目です。004の爆死も本当に必要あったのか疑問。行き当たりばったりのストーリー展開。挙句の果てに宇宙の中心ビックバンの始まり「ボルテックス」に敵の大将「ゾア」が先にたどりつき、最後の戦いをするかと思えば、ゾアがボルテックスの力を吸収しきれず自爆。・・・ちょっと待って。ということであれば、最初からゾアがボルテックスに行ってしまえば、サバの星の人たちも、タマラをはじめファンタリオンの人たちも死ぬことはなかったし、009達も無理して戦う必要なかったじゃん、と劇場で観た時の憤りを思い出しました。その上、003と異星の王女タマラとの三角関係も妙に生々しくてドン引き。原作でも子孫だとか(未来編)、「あなたの子供が欲しい」という003とのベットシーン(神々との戦い編)はあるけど、そもそも、009に生殖能力はねーんじゃね?ギルモア博士よ、そこんとこはっきりしてほしい。
 009好きだったのに、この作品で離れた人、多いと思いますよ。この後、2001年の再アニメ化まで20年以上待たないといけなくなるのは、「―超銀河伝説」のせいに違いありません。ま、この失敗を乗り越えて、ほぼ原作に忠実なストーリーとなった平成版TVシリーズが出来たのは怪我の功名という奴かもしれません。やっぱ石森章太郎は偉大です。
 無理やり「―超銀河伝説」の良いところを挙げると、歌ですね。町田義人の挿入歌「さらばとは言わない」エンディング「10億光年の愛」町田義人好きって理由もあるんですけど、いまだにカラオケで歌います。あと、008の造形がかっこよくなった。昔の漫画然としてるよりも全然かっこいい。キャラクターの造形は総じて良かったです。

 さ、12月公開の映画第4作目。キャラクターは大幅に変わりますけど、原作の良さを失わないストーリー展開を期待します。不安なのがぱっと見「甲殻機動隊」っぽい点。ストーリーもそっちに行ってしまわない事を祈ります。