「死刑になりたいから」が、ひとを殺す理由になるのか…。なんだかそういう奴たまに出てくるけど、死刑になりたいなら、自分で死ねばいいじゃん、と思う。自分で自分を死刑。生きたくても生きられない人がいるのに、包丁振り回したり、車暴走させて人の人生を奪った挙句、「死刑になりたい」とは何事だ。
そういう人は、逆に死刑になどさせず、死ぬまで生き続けるのが一番の罰になると思う。でも刑務所なんかで楽に生きさせない。極寒の地で生かさず殺さず狂わせず全ての自由を奪った上での終身刑。死にたいと言ってる奴を死刑にしてどーする。
世の中に恨みを持つ気持ちは決して判らなくはない。自分ではどうしようもない事で、自分が不利な目にあう事なんて生きていればいくらでもある。でもそんな中でも必死にもがきながら、少しでもよくしようとする事に生きる意味がある。いろんなものに雁字搦めになって、にっちもさっちもいかない。そういうことだってある。でも、自死を選ぶ勇気すらなく、挙句の果てに「死刑になりたい」とはどういうことだろう。
人を傷つける前に何故自分を振り返らないんだろう。なんかそういう人本当に多い気がする。
私が最近特に思うのは、やっぱ人との出逢いは”一期一会”だという事。感情に任せて酷い事言っちゃった相手に「ごめんなさい」を言う機会が一生訪れなかったらと思うと、喧嘩なんてできないし、たとえその事が原因でなかったにせよ、言ってしまった自分はその追い目を一生背負っていかないといけない。そんな人生は出来るだけ避けたい。
出逢った人に不快な思いをさせないように生きて行きたい。でも私も人間できていないからなかなかできない。つい人の過ちを指摘してしまったり、時には売り言葉に買い言葉で口論になることもある。毎日、「今日はあの人にあんなこと言っちゃって失敗したなぁ」とか「ちょっと言い過ぎたよな」とか反省しています。
本当に生きていくって大変だけど、自分の事だけじゃなくて、みんな常に思いやりを持って生きていくことができれば、少しはいい世の中になるんじゃないかなぁと思うのです。