日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

不幸の連鎖を生むよりもそれを止める人であらんとす。


今日の「天声人語」。朝刊で「天声人語」は出来る限り読むようにしています。600文字(原稿用紙1枚半)で、テーマに沿った分かりやすい文章なので、試験問題とかによく採用されていますね。昔は本当にいい文章が多かったんだけど、最近は??と思ってしまう内容や、文章として変なものがあったりするのが残念です。しかし、今日の「天声人語」は朝から感動してしまいました。本当はいけないのかもしれないのですが、是非たくさんの人に読んで欲しいのと、消えてしまうのは惜しい内容なので全文転載致します。


 「ひとだすけ」の言葉を知っていたろうか。思わぬ事故で横たわる小さな体から、温かい臓器が摘出された。他の命を救う大仕事を終えたその顔に、父母は涙をためて、穏やかな笑みを投げかけたそうだ▼富山大学付属病院で6歳に満たぬ男児脳死となり、移植のために臓器が供された。この年齢の子どもからは国内初の提供だ。心臓と肝臓はそれぞれ10歳未満の女児2人に移植された▼若い脳は回復力が強く、脳死の判定は慎重を要する。虐待の跡がないのを確かめ、最初の判定から丸一日あけて再判定する。幼児間の臓器移植が日本でも定着すれば、費用や体力面で負担が大きい「渡航移植」に頼らずにすむ。悲嘆の底で重い決断をしたご両親は「息子を誇りに思う」と記した▼男の子は、同世代の女児の体内で「生き」続ける。臓器を取り換えた彼女たちは、やがて恋をし、母にもなろう。人生の山谷(やまたに)が続く限り、坊やはその営みを、裏方で支えることになる▼「昨日と今日は、偶然並んでいただけでした。今日と明日は、突然並んでいるのでした。だから明日の無い時もあるのです」。飛行機事故で亡くなった坂本九さんに、永六輔さんが手向けた言葉だ▼偶然並んだ毎日には、不慮の悲しみも突然の幸(さち)もある。気まぐれに置かれた飛び石を曲芸のように渡り、命は明日へとつながる。わんぱく盛りの心臓と、汚れなき肝臓をもらい、少女たちは未来に歩み出した。会ったことも会うこともない恩人と、二人三脚の日々が待つ。


 6月14日、6歳未満で亡くなった男児が両親のご判断で臓器提供が行われた事に対するものです。心臓、腎臓、肝臓、角膜が既に移植され容態も安定しているといいます。


 肝臓を移植された女児両親の談話として次の内容が発表されていました。
父親からは、
 大きな悲しみの中で、臓器提供を決断されたご家族のお気持ちに大変感謝しております。娘の状態が日を追うごとに悪化して、先週からどんどん状態が悪くなって、もう娘に残された時間はないのかと思っていました。そんな中、ドナーの方が見つかるなんて、それも小さいお子さんの提供だと知り、自分の子どもが同じ状況になった時、臓器を提供しようという気持ちになれたのだろうか、と思いました。娘が入院していて、娘と同じように周りのたくさんの苦しんでいる子ども達を見て、ドナーのご家族の「臓器を提供してくださる」というお気持ちが、苦しんでいる子どもの命を救うことにつながるということがわかりました。
と。そして母親からは、更にこんな言葉がありました。
 「ありがとう」という言葉でいいのか…、と同じ親として考えてしまいます。けれど、感謝以外のなにものでもありません。


 いつもの通勤電車の中でも、やれ肩が当たった当たらないだの言って喧嘩を始めたり、入口付近を陣取って扉が開いているのに道を空けようともしない人や、周りの迷惑顧みずぺちゃくちゃしゃべりまくる人を見かけた事は一度や二度ではない。自分さえよければよい、という風潮が蔓延している世の中でも、こうして今にも命を終えようとしている人たちに一本の”蜘蛛の糸”を垂らす御釈迦様の如く手を差し伸べる事ができる人がいる。
 なかなかできる事ではないという事は百も承知で、でも、そういう人に私はなりたいと思うのです。