日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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働く事の意味

昨日呑みの席で、「はたらくってのは"はたをらくにする"ってことなんだよ」的な話がありました。
調べてみると、以下のような意味があるようです。

「傍を楽にする」はたらき
 「そんなこと朝飯前だよ」。簡単にできることを、よくこんな言い方をしたものですが、江戸人の「朝飯前」は、意味合いがちょっと違いました。文字どおり朝ご飯を食べる前にする「働き」のことなのです。■向こう三軒両隣に声をかけ、母子家庭、父子家庭、あるいは老人の一人暮らしの中で困ったことが起きていないか様子を見て、その手当てをするのが日課でした。もちろんこれは浮世の義理で無報酬です。■朝ご飯を食べたら、身過ぎ世過ぎ(生活)のために働きお金を稼ぎます。昼食が済んだ午後からは、人のため、町のために、「はた(傍)を楽にする」働き、今でいうボランティアに精を出したそうです。職種にもよりますが、「江戸っ子は3〜4時間しか働かない」というのは、どうもそのあたりから来ているようです。■夕方は、夏などはみんなで一斉に打ち水をして、明日も元気で働くために備えました。「あそび」に引っかけてこれを「明日備(あすび)」といい、リフレッシュ、レクリエーションの時間だったのです。■よく働きよく遊びストレスをためないというのが江戸の暮らし方だったようです。しかも人の評価は、午後の「傍を楽にする」働きの多い少ないで決まったそうです。■地位や財産でなく、自分以外の人や世間のために働くことに人間の価値をみる。「自己中」なんて言葉は、江戸にはなかったのでしょうね。(江戸しぐさ語りべの会・主宰)


語源というよりも江戸っ子らしい”言葉遊び”の類いですが、なかなか説得力がありますね。
傍を楽にすること=ボランティア、これが"働き"であると、江戸時代の人は考えた。困った人がいたら助けるのが当たり前。"浮世の義理"っていうのもいいです。人は、一人で生きてるんじゃない。周りのいろんな人に支えられて社会を形成している。そんな事が当たり前に信じられていた時代。だから、元気な者が困った人を助ける事は当然だったんですね。


 明治維新で欧米の文化が雪崩のように入り込み、個人主義が台頭し始めた。太平洋戦争に負け、巧妙に米国文化礼賛するように仕向けられた日本。その結果が現在のいろんな歪みとなって現れているような気がしてなりません。日本人の美徳、アイデンティティが崩壊してる。
 とはいえ、鎖国時代に戻る事はできません。欧米の文化だって良いところもある。第2次世界大戦の敗戦国として米国の占領下に措かれた1945-1952で、日本は劇的に様変わりしました。過去は全て悪となり、占領政策の邪魔となる日本の文化は悉く悪となる。確かに軍部の専横で軍国主義にひた走っていた頃は反省しなければならない材料ですが、それ以前のよきものすら排除させられてしまった。天皇人間宣言をさせられ、時代劇ですら作る事ができなかったとうのだから、徹底しています。


 占領政策も終わり、独立国家となってから今年でちょうど60年。独立国家なのに他国の軍隊が我が物顔で駐留している国っていったい何なんだろう?
 過剰な個人主義が蔓延した結果、弱いものを助けるどころか、集団でいじめ、死に追いやる子供たち。
 お上の言っている事に否と思いつつも、行動すらしない人々。逆に何の解決策もなく単に盛り上がってるからとデモに集まる烏合の衆。
 ボランティアをする事を強制しようとする社会。

 本当は、日本人が元来持っていたものが破壊されてしまっている現状。何故このようになったのかを一人ひとりがしっかり考えて、次の世代にその反省とともに伝えていく必要があると最近特に考えます。
 働く事は、自分の生活の糧を得る事じゃなく、傍を楽にする為のもの。
 改めて「ワークライフバランス」だの「ボランティアしましょう」だのいわなくても、過去に思いを馳せ、いろんな事に疑問をもつだけで、自分の生き方、働き方が変わっていくような気がするのです。