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「ロマンポルノの時代」を読む。

 
 寺脇研著・光文社新書
 日活は、かつては東宝東映・松竹と並び称される映画会社でしたが、70年代に入り急速に経営が悪化しました。日活は映画以外にもホテルやゴルフ場、当時流行していたボウリング場経営など多角的にレジャー産業を経営しており、本業である映画産業も斜陽に歯止めがかからなくなってきた時期、「日活ロマンポルノ」と銘打った成人映画路線をスタートとさせました。
 かつての日活のスターやスタッフたちは続々と会社を離れて行きましたが、一部の俳優、スタッフはそのまま残り成人映画を作り続けました。
 第1作は1971年11月白川和子主演の「団地妻昼下りの情事」。以降1988年の終了まで制作されたのは688本。公開時は、2本の自社制作と1本の外部買付の3本立て興行が中心でした。
 私が観るようになったのは、高校を卒業してから。1983年くらいだから、最晩年になります。成人映画の規定では、「18歳未満お断り」ですからかろうじて18歳になっていた頃。当時もうビデオデッキは家庭に普及し始めており、レンタルビデオ屋さんにはAVがたくさん出てきていました。後にロマンポルノにも出演する小林ひとみとか、すごくかわいい女の子がたくさん裸になるような時代。血気盛んな頃だから、AVも勿論嫌いではなかったんですが、あまりにも即物的な内容が多く、ストーリーなんてあってないようなもの。そんな中、日活ロマンポルノは、ちゃんと裸に必然がありました。あくまでもAVに比べると、という相対的なものですけど。
 観たことのない人は、「AVと同じようなもの」だとか「ストーリーなんて全然ない」と思っている人もいるかもしれません。確かに1時間程度の時間の中で、エロシーン6回以上を出すのが会社から与えられたきまり、しかも制作予算は750万ぽっきりですから、重厚なドラマは求めるべくもありません。しかし、その条件さえクリアすれば、会社はどんな企画も通しました。だから監督の作家性を前面に押し出す作品を作る事が出来ました。AVとは比較にならない程の物語がそこにはあるのです。それは、傾きかけた会社に残り少しでも立て直そうとする俳優、スタッフの矜持がそうさせたのではないかと思います。

 さてこの本は、映画評論家の寺脇研さんが71年の日活ロマンポルノ開始から88年の終了までに当時書かれた評論を中心に「日活ロマンポルノ」の映画としての魅力を紹介した本。
 私も、学生時代、名画座を回ったり、ビデオレンタルしたりしてかなり観た憶えがありましたが、100本にも足りませんでした。
 
 日活出身の監督さんで、一般映画に移って名作、ヒット作を続々と撮った監督もたくさんいます。
 先ごろ亡くなった「それから」「家族ゲーム」の森田芳光、「12人の優しい日本人」「櫻の園」の中原俊、「月はどっちに出ている」「血と骨」の崔洋一 、「平成ガメラシリーズ」「DETHNOTE」の金子修介、その他にも根岸吉太郎東陽一澤井信一郎と枚挙にいとまがない。日活ロマンポルノは、ゴロゴロと転がり落ちる映画界の中での梁山泊であったのです。ちなみに、先日このblogでも触れた「変態家族兄貴の嫁さん」を撮った周防正行監督は、日活デビューではありますが、制作は外部(データベースでは国映となっていました)。
というわけで、邦画好きを自称するものとして、「日活ロマンポルノ」は避けて通れないのです。


 でもやっぱり思い出深いのは、場末の映画館で人目を忍びながらもぎりのおばちゃんに「学生1枚」とか言って見た頃の奴ですねぇ。一応気持ちとしては、映画青年を気取っていましたが、周りからみればただのエロ青年だもんね。
 今や時代は流れ、新宿のTSUTAYAでも新百合のTSUTAYAでも日活ロマンポルノは、アダルトコーナーではなく一般邦画のコーナーにあります。明らかにAVとは別種の映画としての扱いは私としてはうれしい。
 敢えて観る必要もないし、確かに観方によっては、一般の映画程深くもないし、AV程エロくもないという中途半端な作品が多いのも事実ですから、「とりあえずどれでも良いから観てみて!」と言えないところが辛い。。。

 
 

ロマンポルノの時代 (光文社新書)

ロマンポルノの時代 (光文社新書)