日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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被災地ボランティア活動

hee2012-10-27

 
 (今回は、自撮りの写真はありません。ボランティアセンターから、被災者の感情を鑑みボランティアによる被災地の写真撮影は、原則しないよう通達があったためです。なんとか上手く伝えられるようにしますので、ご了承ください。)


 1年ぶりに東日本大震災の被災地ボランティアに参加して参りました(前回の記録→http://d.hatena.ne.jp/hee/20110709)。今回は宮城県南三陸町。ここでは、町内全域が津波に呑みこまれ、町の62%(市街地で75%)もの家屋が損壊しました。人口1万7千人のうち1万人の安否が不明となった地域です。

 この地域であの日、最後まで防災無線で避難を呼び掛けていたのをTV等でみた方も多いと思います。この放送を発信されていた南三陸町役場危機管理課に所属していた遠藤未希さんは、後日遺体で発見されました。遠藤さんは、前年7月に結婚されたばかりだったといいます。
 


 1年を経た街の様子は、津波による被害のがれきが"土まんじゅう"のようにそこかしこに積み上げられており、建物のコンクリートの土台がまるで外国の墓地のようにむき出しになっているだけ。ねじ曲がったガードレール。線路が撤去されて、今や崩れた土手になっている南三陸鉄道の軌道跡。津波に浸かったであろうところまで、山の端の樹々は斬り倒されて切り株となっている。その上の樹は、塩害で葉が枯れている。想像を絶する姿。広島の爆心地や東京大空襲の写真のような光景がいまだにひろがっていました。
 

 今回の作業は、家の土台をはがし更地にする為の前作業。家の基礎って大きく分けて布基礎とベタ基礎というのがあって(下の図参照)、

この基礎の部分をむき出しにしないと、ユンボの爪が入らず、また、土台に掛かった土で土台そのものを撤去するのも容易ではない為、スコップや鶴嘴を使い人手で土台を掘り出す(むき出しにする)のが必要なんだそう。
 自分たちの作業はこの"布基礎"というのの下のT字になっている部分を掘りだす作業。元々は薄く土がかぶっている程度だったんでしょうが、津波で色々なものが流され堆積しているので結構深く、なおかつ粘土で固くなっていて更に石が多い為、スコップだけでは全く作業が進まず、ツルハシで崩して土をさらう作業を延々繰り返しました。

 今回の参加者は総勢50人強。その殆どがホワイトカラー。土木作業には慣れていません。それでも9時から3時まで一生懸命作業をしました。それでも家1軒分の土台を出すのがやっとでした。作業中に、人骨が発見されて警察を呼ぶという一幕も。日常茶飯事のことなのか、警察も淡々と処理していました。要はそういう現場です。我々からすると非日常ですが、現地の人にとっては、受け入れざるを得ない日常。。。

 途中、家主の方が現場に来られ人数分の笹かまぼこを戴きました。1個100円としても5000円以上。避難生活で大変な思いをしている中、これだけでも大変な出費だと思います。想いに応える為に更に精を出す午後の作業。

 あっという間に3時。終了時間となりました。作業は100%完璧じゃなかったけど、出来る限りみんなで頑張りました。

 作業終了後、ボランティアセンターに戻り、終了報告。帰りに仮設商店街「南三陸さんさん商店街」(http://www.sansan-minamisanriku.com/)に寄り、ひとやすみ。
 そのまま帰ると終電ぎりぎりになる為、時間調整をしてから出発。翌日出発地の大宮に戻りました。


 土台があったまま埋めてはその上に建物を建てるわけににはいかないそうで、街の殆どがこんな土台ばかりの現状を考えると、まだまだ途方もない作業量があります。震災から1年半が過ぎ、ボランティアの数も減ってきているそうです。今回の作業の指示をされた方も、関西から会社を1年間休職してボランティア活動をされている方とのことでした。物見遊山に行く場所ではありません。特に被災の酷かった地域に観光に行くわけにはまいりませんので、是非機会があったらボランティアに参加するといいと思います。たかだか2回参加した位で偉そうなことはいえませんけど、報道でしか知らない被害の現状を被災された方々の万分の一でも肌で感じる事は、大変貴重な体験です。
本当なら、毎週にでもかけつけたい気持ちはあるのですが、なかなかそうはいきません。また機会があれば参加して、微力ながら被災された方々が普段通りの生活に戻られるお手伝いが出来ればいいなって思います。


(今回作業したところ↓)