この言葉を聞いた時、結局、私はそういう生き方しかできないと思いました。
地震や津波や、天災でなくても交通事故や不治の病や、人間っていつ死んじゃうか判らない。だからこそ、1日々々を悔いなく過ごすようにしないとなって思います。床に着く前は毎日反省の日々ですけど。
先日(12/7)の地震以来、一部で大きな地震が来るんじゃないかと言われていて、確かに気にはなるのですが、かといって特に何も準備していません。逝く時は逝くものです。勿論、一瞬で逝ってしまえば良いのですが、そうならなかった場合の為に家族分の数日の水と食料、乾電池とかそういった一般的な準備、浴槽にお湯を貯めて寝るとか、他人に迷惑を掛けない程度の準備をするのは当然です。しかし、必要以上の蓄えは必要ないんじゃないかと思ってます。
仮に発電設備を持っていたとして、周りの家が停電して困っている中、自分の家だけ通常通りの生活をしていたら「あぁあの家はしっかり準備していたのね」と私は思うけど、もしかしたら「自分だけいい思いしやがって」という人がいないとも限らない。日本人は特に、苦労は分かち合うものと考える人多いからね。いくらアメリカ文化が浸透してもミーイズムに完全に毒されない日本人の気質というか。
よく結婚式で「2人なら喜びは2倍に、苦しみは1/2に」なんて言いますけど、要はそういうこと。
人は助け合わなければ生きていけない。だから、恐れることなくリンゴの樹を植え続けてよいと思うのです。そしてそういう生き方こそが、崇高な精神であるように思うのです。とはいえ、大混乱の中、なにがなんでも会社に行くなんて事はしないけどね。そこまで会社に責任ないし。勿論必要ならいくけど。どんなことが起こっても、眼の前のことを粛々と。それでよい。