日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

久々に射場へ。


 今日は、1月初めの新年射会以来1カ月ぶりに弓を引きました。「さよなら999」コンサートがあったり、先週は腰痛で動けなかったり、昨日はカラオケだったりしたもので、行けなかったのです。本当なら昇段審査の日でしたが、申込に遅れたのは不幸中の幸いでした。審査受けても120%受かってないに違いありません。6月に期待です。

 さて、今日は審査形式、競技形式で行う定期練習日。審査以外にも江東区で節分射会があってそれに参加されている方もおり、9名といつもより少ない人数でした。
 しかし、中らんorz。11:00からの自由練習になってから中り始めたのは、昨日の酒が抜けはじめたから??


 多趣味って、中途半端ってこと。今更出世なんざ望んでないから、仕事は無理しない程度で良いと思ってる。それでも多少の責任は被さってくるから、たまには遊ぶことはあっても、まずウィークデイは原則仕事に集中。だから土日は趣味に充てたい。それが仕事になるとちょっと辛いなぁ。その土日も、いろんな趣味のイベントが毎月必ずあり、全部に参加するのは到底無理。弓は最低でも週1回の練習は確保したいところ。何か一つに絞るのはなかなか難しい。でもね、自分がいられるコミュニティがあるっていうのは、それが多ければ多いほど幸せなことだと思うのです。狭い世界の中だけで自分の立ち位置や価値が測れるもんじゃない。まさに「井の中の蛙」。


 もっとも「井の中の蛙」の人は、それなりに反論を考えていたりする。
 曰く、
 「井の中の蛙大海を知らず、されど天の青さを知る」
 とか
 「井の中の蛙大海を知らず、されど天の深さを知る」
 など。

 しかし、元をたどればこの「井の中の蛙」には下の句などない。この言葉の元となったのは「荘子 秋水篇」の
 「井�蹐不可以語於海者拘於虛也、夏蟲不可以語於冰者篤於時也、曲士不可以語於道者束於教也」(井蛙は以って海を語るべからず、虚に拘めばなり。夏虫は以って氷を語るべからず、時に篤ければなり。曲士は以って道を語るべからず、教に束わるればなり)
 訳すと
 井の中の蛙と海のことを語ることはできない、虚(くぼみ)のことしか知らないからである。夏の虫も、氷のことを語ることはできない、夏の時季しか知らないからである。曲士(心のよこしまな人、あることに秀でる人とも)と「道」の事を語ることはできない、ある教条にとらわれているからである。

 ということらしい。

 つまり下の句は、井の中の蛙であることを正当化しようと後付けされたもの。

 
 とはいえ、現状は自分としても中途半端な感は否めないし、夫々のコミュニティには不義理をしているわけだから偉そうなことは言えないのですが、社会の様々な事に興味を持って、アグレッシブに参加をしていくのって悪くはないと思うのです。