金曜の夜大宮駅を23:00に出発し、今年度2回目、通算3回目の東日本大震災被災地ボランティアに参加して参りました。
(前回の活動内容は→http://d.hatena.ne.jp/hee/20121027)
5か月ぶりに南三陸町へ。16日の朝ボランティアセンターに到着すると、来ているバスは、私たちを除くと1台だけ。先週震災から2年目という事で、TVで特集が組まれ震災の風化が叫ばれていましたが、たかが半年でこんなに減るもんなんだと、"風化"という言葉を身に沁みて感じました。
勿論、5か月前、一面建物の土台のあった海の近くの平地は、土台の殆どが取り払われ、かなり整地が進んでいるようです。しかし、当然、建物が立っているわけではありません。広大な平地がただ広がっているだけです。ここに住んでいた人たちはいまだに仮設住宅に住んでいるんでしょう。
今回の作業は、農地復興支援。場所は(左の方ね)↓
海岸線から2kmくらい離れた、山の端の方。ここら海は全く見えません。なのにこんなところも津波が来たのは、"川"があったから。川を遡って津波は来る。でもホント小さな川なんですが、それでも津波の導線になってしまうんですね。
この川沿いの農地、恐らくトウモロコシ畑だったと思うんですが、ここに海からの土砂が流れ込み、とても畑が出来るような状況じゃない。耕運機で耕してはあるんですが、小石や皿、茶碗、瓦のかけらがあって、それは、手作業じゃないと取り除けないらしい。で、私たち50人弱と別のボランティアバス出来た20名の計70名ちょっとで畑に入り、掘り起こしながらこれらを取り除きました。
畑としてはそれほど広くないけど、人力で少しずつやっても全部なんて到底手を付けられない。ほんの一部を休憩をしつつ9時から3時までかけて作業しました。
なんという無力感。最初に入った気仙沼では、田んぼに流れ着いた屋根の解体で、なんとか殆どを片付け終えました。2回目に行った土台の掘り起こしも2軒分の土台を時間内にほぼ掘り起こすことができました。しかし今回は、全部なんて到底無理。少しずつ進んでは、小石を取り除く作業。でもこれをやらないとここで農作業を再開することは出来ない。勿論その後に一度海水をかぶった土から塩分を取り除かないといけないんでしょうが、それ以前に、ここをもとの畑のように土だけにすることなんてできるんだろうか…。
南三陸町災害ボランティアセンターのhpを見たら災害ボランティアバスの高速道路無料通行も、この3月で終了らしいです。これからは国や地方自治体、そして現地の人で復興をする。あの現状をみてほんとにそれでいいのかなと思う。
阪神淡路大震災も確かに甚大な被害を出したけど、今回はその比ではない。しかも日本の主要都市というわけでも(失礼)ないから、元の生活を取り戻すまでかなり時間がかかると思う。確かにプロでないと出来ない事もあるだろうし、現地の人も自立していかないといけない。でも今回の作業のように、それこそ人会戦術でないと出来ない事がまだ山ほど残っているに違いない。メンタル面だって心配。お話を聞いてあげるボランティアだって、漁業支援のボランティアだって、人出があれば少しは役に立つはず。
震災から2年。これから私たちが出来ることはなんだろう。それを考えながら日々生活していこうと思います。
頑張れ東北の人たち。
ちなみに本日早朝帰宅後弓道の月例会があって午前中参加してきたけど、案の定結果はボロボロでした…(^-^;)