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「弓道士魂」(完全版) を読む。

 平田弘史 著 


 京都にある三十三間堂で、毎年成人式の時に開かれる遠的大会。一般的に"三十三間堂の通し矢"と言われますが、遠的の距離は60m、三十三間堂の通し矢は、本堂西軒下約121mを通すものですので、全く異なる競技。


 この三十三間堂の通し矢、江戸時代に大流行し、各藩の名誉をかけた競技だったといいます。一昼夜をかけ、何本の矢を通すか。記録はどんどん伸びていきます。慶長11(1596)年1月19日に清州藩朝岡平兵衛が51本を記録したのを皮切りに、元和9年5月2日には、吉田大内蔵が1,000本の大台を突破、そして通し矢の最後は、貞享3(1686)年4月27日紀州藩和佐大八郎による8,133本(13,053本中)と、90年の間に実に160倍近い数を射通すことになります。後年は、紀州尾張の意地の張り合い的様相を呈してきます。


 「弓道士魂」は、『週刊少年キング』に1969年11月23日号〜1970年22号まで連載された作品で、通し矢に青春のすべてをかけた星野勘左衛門(勘左)の物語。勘左の記録は、寛文2年に6,666本(10,025本中)、その後寛文9年5月2日 8,000本(10,542本中)とあります。下級武士だった、勘左は、流れ矢で父を殺され、激昂して矢場の責任者の眉間を正確に射ぬいてしまう。弓の才能を認められ、もし三十三間堂の通し矢記録更新(天下惣一といいます)出来れば罪を許すといわれ、挑戦することになります。しかし、その修業は創造を絶するものでした。


 436頁と”ドカ弁”みたいな大きさのボリューミーな漫画。しかも、内容が濃くて一気読み出来ませんでした(^-^;)。読んでいる自分の精気も抜かれるような気迫の籠った画とストーリー展開。
 既に、鉄砲が戦の中心となり、弓術は過去の武具となってきていた時代。通し矢は技術を競う場ではなく、藩の名誉を競う場でたかが体面の為に、優秀な人材が命を落としたりするのは、無駄な事。東京オリンピックのマラソンで3位入賞した円谷幸吉が、その後自殺をした話と重なりました。


 名誉も栄達もない時代に弓ができて良かった。もっとも、国体とか、学生弓道では、優勝する為に日々鍛錬してるんでしょうけど、自分は余り競技弓道に興味がありません。
 弓は立禅ともいわれ、心を鍛える武道として現代まで生き続けています。的中は大切だし、試合では的中を競いますが、それよりも個人的に自分を見つめる大切な時間として弓道を続けていける現代は、幸せですね。


 弓をやっている方、こういう時代があったってことを知る上で必読の漫画。