ネタがないので「はてなのお題」に答えます。
私の部活動の歴史は、中学の頃のバスケット部から始まります。今の小学生はミニバスケットとかからやってたりしますけど、地方だったからかもしれないけど、私たちの年代では、中学校から始めるスポーツでした。
今から考えると、正直失敗したかなって思います。バスケットは、レギュラー5人。私たちの頃は子供が多くて1学年40名×8クラスで300人以上、男子だけでも150人以上いるのにバスケット部は30人近くいました。それだけ人気のスポーツだったんです。当然万年補欠で、公式試合に出たのは3年間で1,2回しかありませんでした。それでも3年続けてたのは偉いと思う。
高校に入ってもバスケット続けてたんですけど、2年になった時に生徒会活動をやり始めて、2足の草鞋は無理で結局辞めちゃいました。新設高だった(私たちが2回目の卒業生)んで、部活動もあんましなくて、その後高校時代は部活動はやりませんでした。
1年のモラトリアムの後、大学に。浪人してた頃映画に目覚め、映研にはいろうか、あと落語も好きだったんで、落研にはいろうか、運動系では、弓道部に入りたかったのですが、体育会の弓道部は厳しいという話で、どうしようか悩んでいたところ、勧誘に引っ掛かって文化系のクラブに。
日本民謡研究会との出逢いです。
折しも時代はバブル夜明け前。何もそんな時期、大学生が民謡やるなんて…とも思いましたが、結局これも卒業まで続けちゃいました。
それでも本当は、三味線やりたかったけど一緒に入部したのが女性2人だったんで、必然的に管楽器(尺八・横笛)班に。女性に尺八はやらせられないしね。人数が少なかったので、唄、踊り、太鼓、鉦とかの鳴り物は各自やってました。
最初は嫌だったんですけど、他大学の民謡研究会との交流や現地実態調査と称して新潟県の保存会の方に民謡を教えてもらいに行ったりして、今となっては楽しい思い出です。
尺八はねぇ、"首振り3年"とかいいますけど、本当に1年の時は音すら出ませんでした。それが丸1年経って最初の春合宿の時に音が出て以来、完璧に吹けるようになりました。3、4年の頃は自分でゆーのもなんですが神でしたね。楽譜はあんまし読めませんでしたが、耳コピでどんな民謡も吹けたし、マイケル・ジャクソンとかシンディローパーとか、歌謡曲やPOPSとかも吹いてました。唯一まともにできる楽器かも。
あの頃民謡やってたおかげで、いまカラオケやっててもちゃんと腹式で唄えるようになってるような気がします。
小学生の時の先生が卒業する時に「お前は飽きっぽいから、部活にはいって続けていく事を強く勧める」とか言われ、部活動に参加してましたけど、結局中途半端になったのは、高校の時のバスケットくらいで、後はちゃんと卒業までやりましたね。
いまも何気に、唄うことは止めてないし、弓道もブランクあったけど復活して続けてるし、何気に我慢強くなったよ。先生の教えを守って、ちゃんとりっぱな大人になれましたよ、横松先生、ありがとーございます。