日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

「GALAXY EXPRESS999 ULTIMATE JOURNEY 下巻」を読む。


 1月に出た上巻から8ヶ月、やっと下巻の発売です。まさに"ザ・松本零士"。漫画ではないけど松本零士オールスターキャストでおくる松本零士最後の物語、と思いたいw。


 小学〜中学生の頃、「宇宙戦艦ヤマト」の洗礼を受け、松本零士作品を殆ど読んでいました。その登場人物たちが大集結する物語。確かに当時から「自分の作ったキャラクターたちは、大きな一つの物語に収斂していく」みたいなことを言っていました。その一つの答えがこれなんでしょう。

 ある物語の登場人物が、他の話では主人公で別の人生を歩んでいるという話は、決して嫌いじゃありません。新井素子の物語のいくつかはそういう構成を取っていたりします。しかし、松本作品は、それぞれが一つの物語として完結していて、それは大きな物語のひとコマとして作られていません。ある物語で死んだキャラクターがここでは生きていたり、どう考えても最初の設定とは年代が違ったり。最初から大きな物語を設定してそこから派生するストーリーを描いていたとは思えない。スピンオフを先に発表し、今回メインストーリーを発表したといっていることにどうしても詭弁を感じざるを得ません。

 個々のキャラクター造形は素晴らしいけど、それはその物語だから輝いていて感動したわけで、今回のような形での大集結は昔ならともかく少なくとも今は望んでいません。30年、いや20年遅かった。正直にいうと、新しく魅力的なキャラクターが作れなくなって、これまで作ってきたキャラを総動員しただけの話。
 
 話そのものは面白く読めますし、かつての登場人物たちの名前が出てくるだけでワクワクします。まさか、「ワダチ」の山本轍や「ひるあんどん」の敷居高志、「聖凡人伝」出戻始まで名前だけでも出てくるとは驚き。「大純情くん」の物野けじめは出てこなかったな…。

 主軸は銀河鉄道999の続編「エターナル編」の続き、太陽系消滅してしまった後、メーテルと鉄郎が3たび999号に乗り惑星エターナルに向かい復活させるというストーリーですが、なんでもあり、荒唐無稽ここに極まれり。松本作品からは、ずいぶん距離を置いていましたが、この作品で、自分の中の松本零士は完結したいと思います。

 言い訳のように書いてある巻末文もトホホの一言。著作権上全文は乗せられないけど、
 「―仮に過去の既存作品において、あくまでも独立オリジナル作品として、起承転結させる物語の宿命を背負った作品展開上、既に死亡扱いにして成立している物語があろうとも本小説においては、必ずしもその通りの設定を踏襲しない登場キャラクターが多数登場します。しかしそれは、原作者「松本零士」自身が自らが創作の原点に立ち返って、あくまでも創作当初からあり続ける著者独自のオリジナル設定のみを源とした(後略)」 
こんなあとがきを書かねばならないほど、過去の物語との整合が取れていないのは、いかがなもんか。。

 手塚治虫スターシステム程割り切ったキャラクターの使い方をしてこず、いきなりこういう風に物語を展開されると、過去にあったその登場人物たちの物語で感動した読者の気持ちを蔑ろにしているとは思わないのかなぁ。

 もっとも、中途半端に終わってた「銀河鉄道999エターナルファンタジー」をこのような形でもちゃんと完結できたのは喜ばしい限り。

 終止符を打つ為にも松本ファンは読むべき物語です。
 この作品のアニメ化漫画化は不要です。メディアを変えてまた新たな矛盾満載の物語が増えるだけですから。

GALAXY EXPRESS 999 ULTIMATE JOURNEY 下巻

GALAXY EXPRESS 999 ULTIMATE JOURNEY 下巻