本当は、葬儀が終わってそのまま帰ろうかと思っていたのですが、それまでほぼ1週間、姉貴と3人でいろいろ準備をし、昨日まではバタバタと人の出入りも多かったんでいきなり母親ひとりにしてしまうのも寂しかろうと、姉と相談しもう1日残りました。結果的には、今日も49日にやる納骨の準備で、石屋さんにいき段取りの相談をしたり、その後のお食事会の予約をしたり、お呼びする人を決めたりとやることがあって、帰路に着いたのは夕方でした。
それでもやり残したことが多く、母親ひとりでは何ももできない為、姉貴と私が交互に帰省していろいろと進めていかないと行けません。とはいえ、自分たちは自分たちの生活があるから、ずっと実家にいるわけにもいかず、しばらくは、実家との往復が頻繁になりそうな感じなので、年末年始の個人の予定は予定通りに行きそうにありません。
実家は分家なので、いままで仏様がいなく仏壇とかもこれから頼まないと。それ以前に家の片付けをしないと。とにかく戦前生まれなのでものが全く捨てられない親が溜めこんだものがそれほど広くないとはいえ、異常にものに溢れかえっている。
葬儀にまつわるいろんな風習・しきたりなんて全然知らないから、逐一地元のいろんな人に聞きながら進めてます。母親に聞いてもなんだかはっきりしないので、地域の事は自治会長さん、49日の事はお食事会をやり鮨屋のおかみさんにいろいろと教えてもらいました。納骨の時に白いお団子を墓前んで食べるとか、食事会の後今度は餡団子食べるとか地元独自の風習をしないといけないらしいけど、そんなん全然知らなかったわ。
おそらく、昔は地域にとってお葬式っていうのは一つのお祭りで、お寺を中心に地域の人が相互に助け合って儀式を行っていたに違い有りません。だから、いろんな儀式の中に食事が必ず付いてみんなで食べる。時代とともに変わってると葬儀屋さんは言っていたけど、それでもまだ残っているものがあって、そういうのを大切にしないと「あのうちはまともに葬儀もあげられない」と後ろ指を指されることもないわけではないらしい。いまだに地域コミュニティが生きている証拠なんでしょうが、そこに住んでいない、要はコミュニティに属していないわたしにとっては、経験がないことばかりなので右も左もわかりません。
いろんな経験が出来、刺激的で感心することも多いけど、まぁやっぱ大変です。ただ、しっかりものの姉貴がいてくれるので助かります。これが一人で何もかもやらないと行けないかと思ったらぞっとします…。