日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

2013年の感謝


 後数時間で2013年も終わり。まさに自分的には激動の1年でした。しかも年末に父が亡くなり、開かれたBLOGではいえないですけど、それまでの自分の2013年十大ニュースの殆どが入替わってしまう程の"事実"がどんどん出てきて、正直12月後半、気が付いたら終わってた感じです。。

 というわけでざくっと1年を振り返ります。

 4月に、それまで勤務していた東京支社から20年ぶりに転勤しました。横浜・桜木町にあるランドマークタワー。駅を降りると海が広がり、右手には赤レンガ倉庫、動く歩道を進むと帆船日本丸、コスモワールドの大観覧車とロケーションは最高なんですけど、今までやったことのない異職種への異動で右も左も分からず、お客さんは勿論、会社の皆さんに迷惑の掛け通しでした。そんな私に対して、文句も言わず温かい目で接して頂いた上司同僚をはじめ支社、関連部門の皆さまには感謝してもしきれません。来年はそろそろ戦力にならないと馘首されちゃいます。頑張っていこうと思います。

 東日本大震災の被災地ボランティアには、3月と8月に行ってきました。来年も2月に行くことを予定しています。もう丸3年経とうとしているのに復興の兆しさえありません。行くたびに少しずつ片付けられてはいますが、湾岸の平地から津波の到達した山間まで、以前のように建物が立つ気配すらありません。一方で高台に少しずつ家が立ってきていて、恐らくまた土地を買って家を建てられる人は移転をされているんでしょう。昔のコミュニティに戻すのはもう無理なんでしょうかねぇ。まずはしっかりと生活できる基盤を作る為のお手伝いをする。国とか役所に任せているだけでは、10年経っても元通りにはならないと思います。少しでも想いのある方は、是非むこうでまだ苦しんでいる人がいることを忘れないで欲しいなと思うし、身体を動かせる人は身体を、頭を使える人は頭を、お金を出せる人はお金を、何も出来ない人でも苦しみを理解してあげようとする事を続けていければいいかなと思います。

 忙しい中でも趣味の時間は充実させていました。
 仕事が忙しいと頭の切り替えができなくなってしまいがちです。特に今年はそういう状態でした。通勤経路の変更から乗り換えが多くなって、小刻みに乗り換えるものだから集中して本が読めず結局1年で50冊弱という少なさ。来年は通勤にも慣れたから以前並みには読みたいもんです。

 アニメ関係では、「宇宙戦艦ヤマト2199」が白眉でした。昨年第1章がスタートして、今年9月最終第7章公開。TVシリーズも4月から始まり26話を完走。先行上映で観ているのに久々にTVの前でワクワクしながら放送時間を待つ楽しみを思い出しました。来年は新作が公開されます。これも楽しみ。
 「あの日見た花の名前を僕たちは知らない」も映画化されました。TVシリーズを回想しながら1年後の”超平和バスターズ”のみんなの姿がみれて良かった。

 映画関係では、ここ数年お世話になっていた「グリソムギャング」の閉館がショックでした。ここは映画を上映するときに監督始めスタッフさんや出演者の皆さんをお招きして当時のお話を聞くことができ、更に隣のバースペースで更に呑みながら深い話を聞ける希有な場所でした。ここでは、今もお付き合いさせて頂いている小中和哉監督始め多くの監督さん役者さんと出逢うことができました。ビル老朽化に伴う閉館ということですので、新築の際は是非再開して欲しいです。
 それと3月に石原裕次郎三船敏郎主演の「黒部の太陽」公開から45年の時を経てソフト化されたのはすごくうれしかった。昨年東京フォーラムで限定上映されたのを観ましたが、これからはいつでも観ることができる。いい時代になりました。

 唄関係では、1月に「さよなら銀河鉄道999」の劇中歌「戦いの歌」を4台のエレクトーンをバックに作曲の東海林修さんの眼前で久しぶりに唄わせていただきました。2回のセッションも楽しませていただきました。カラオケも年々回数は減っていますけど、その分充実している気がします。ご一緒戴いた皆様、来年もよろしくお願いします。 

 弓道もできる限り最低週1回は射場に行くようにしました。でもその程度の稽古では合格率10%の参段への道は険しい事も実感。六月の審査ではなんとか通りたいけど、まぁ焦らずゆっくりと行きたいと思います。


そして、12月に入り父が肝臓癌で逝去しました。
84歳の年男でした。
しばらく調子が悪くて、10月に大学病院で検査した時に癌が発見されて長くない事は判っていましたが、腫瘍の場所が悪かったのとその後の進行が思ったより早く、今月頭に入院、2週間後の17日早朝に亡くなりました。救いなのは、痛みもなく眠るように亡くなった事。死に目には逢えなかったけど、1週前にちゃんと会話ができた事。父親とはこれまでゆっくり話をすることがなかったことが今更ながら悔やまれます。戦前から戦中戦後と激動の時代をどう生きてきたのか。亡くなってから断片的に聞くととてつもない苦労の人生を歩んでいたようでした。生前それに応える事はできなかったかもしれないけど、一応ちゃんと(かどうかはともかく)仕事をして、こうして家庭を持っている事も親孝行の一つではないかと無理やり納得しています。「お母さんをよろしくな」というのが私への最後の言葉でした。仕事もあるし、既に家もあるので実家に帰る事はできないけど、これまで以上に気を使いながら実家に帰る頻度を増やしていこうと思います。



 いろんな事があった2013年でした。まさに公私ともに出逢いと別れの年でした。
 別れは哀しく寂しいものです。ただ別れは新しい出逢いを生む事もまた真実です。
 毎年書いていることではありますが、「人は人の中でしか成長できない」というのが持論です。


 今年お付き合い頂いた全ての皆さんに感謝です。
 こんな私ですが来年もよろしくお願いしますね。