日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

未煙1ヶ月。

 煙草を口にしなくなって今日でちょうど1ヶ月になります。
 「禁煙」って言葉好きじゃないので「未煙」としてます。気持ち的には、何となく吸ってないだけで、別に堅い意志で辞めようとか思ってません。だから我慢しているわけでもないし、吸いたければ吸っちゃおうと思ってますけど、とりあえず1ヶ月は口にしなかったという感じです。


 もう35年(計算合わないのは時効m(__)m)以上常飲しているので、人生の中で煙草を吸っているのが常態で、吸っていないのは異常事態なわけです。これだけ長い間吸っていても体調が悪い事もない。血圧だって正常。正直言うと、"あなたの健康の為"という禁煙励起の標語は「御為ごかし」の最たるものだと思ってます。だから私的には「周りの人に迷惑でしょ」といわれる方がよっぽど吸わない理由になる。

 そうなんです。最近煙草をゆっくりと気持ちよく吸える場所がなくなったというのが、吸ってない大きな理由だったりします。勿論今までだって「気持ちよく吸う場所は、吸わない人が我慢して喫煙者に提供していたんだ」といわれればそうかもしれません。しかし嫌煙者がマイノリティからメジャーになって徒党を組んで喫煙者を糾弾するのは、とても嫌な気持ちになります。

 
 一方で、煙草にかけられている税金の収入は、国税地方税合わせて約2兆3千億(平成25年度/財務省)。煙草代の60%強が税金というわけです。それは、喫煙者だけに使われるのではなくそれを嫌っている非喫煙者にも使われる税金です。ならば喫煙者も非喫煙者もお互いに思いやりを持つ事はできないものなのでしょうかねぇ。
 国を挙げての弱い者いじめ。正義(と思いこんでいる)斧を振りかざす善良な市民。喫煙者狩りは、正直、恐ろしい社会の縮図だと思うのです。


 どちらかと言えば、自分はマナーの良い喫煙者だと思います。ただマナーをいくら守っていても、煙草を吸う場所が明らかに減っている。喫煙をしようと思うと、その場所を探すところからまず始めないといけません。更に、用意された喫煙場所は喫煙者数に対してとんでもなく狭い空間。まるで煙突のようになっているその場所では気持ちよくなんて吸えません。
 

 煙草を買うのにも、自販機ではカードを持っていないと買えず、コンビニでは沢山の銘柄から自分の煙草の名前を言わないといけない。最近吸っていたのは「ケント・エス・シリーズ・メンソール・1・100ボックス」

"けんとえすしりーずめんそーるわん・ひゃくみりぼっくす"…何の呪文(^-^;)。煙草屋さんだとどんな銘柄を言ってもすぐに出してきます。さすがプロ。しかしコンビニの店員さんでは、銘柄を言っただけでは分からず、間違う事もしばしば。だから番号を言ったりしますが、その番号札のところに張り紙をしている店とかあって番号が見えなかったり、沢山レジがあるところだと番号が見えない事もあります。それでもその銘柄があればいい方で、場所によってはなかったりします。吸わない人は「煙草なんかどれでも一緒じゃん」と言いますが同じメンソールでも違うのです。酔っ払ってる時はどれでもいいか…と思ったりしますけど、吸いたい時の煙草は慣れ親しんだ銘柄がやっぱりいい。


 買うのも大変、喫煙場所もなかなかない。まるで、住処を追われた森の動物のようです。
 私は、生存競争にはめっぽう弱いのでとりあえず今は煙草がなくてもい大丈夫か検証中ってところ。
 1ヶ月経っての気持ちとしては、ニコチンについてはあってもなくても大丈夫っぽい感じ。今まで喫煙してリセットしていた時間をどうやって作っていくかが課題ですけど、まぁそれも慣れでしょう。
 
 何となく吸ってないだけなんで、いつまた吸うかは分かりません。ふと1本吸っちゃうかもしれないし。ただ、こういった社会情勢に逆らってまで常飲するつもりはもうありません。。