日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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「妻の超然」 を読む。

妻の超然 (新潮文庫)
 絲山秋子著・新潮文庫

 超然とは他の動きには関知せず、自分の独自の立場から事を行うこと、態度。流行に流されたり、世間の目とかを気にしたりすることなく、自分なりの見識、主張を持って事に当たるって感じ。
 なかなか"超然"としているのっていうのは難しい。超然というのは自分勝手と紙一重だと思うのです。人間は、関係性の中で生きている。そういう関係性を無視して、超然としていると言えばかっこいいかもしれませんが、周りへの気遣いもやっぱり大切だと思うのです。そういう意味では、自分は超然とは無縁だけど、でもある面では超然としたところも確かにあるし、そうありたいともう自分もいます。
 気になったのは2番目の「下戸の超然」気持ちは分からないではないけど、あれじゃ結婚なんて出来ないし、彼女がかわいそう。こういう男子、実は増えているような気がします。相手のことより自分が一番大事。それはそうかもしれないけど、相手を理解しようという気持ちや行動ができないのは、超然ではなくて傲慢。
 そう、ここに出てくる話のどれもが、超然というかっこいい言葉でオブラートにくるんでいるけど、傲慢、自分勝手、他人に対する無関心だと思うのです。
 人間関係は本当に難しい。でも人間は超然としていることで磨かれるのではなくて、自ら進んで人の輪の中に入り込んでいくことで成長していくのではないかと思うのです。
 3話目の「作家の超然」は、まさに作者本人の私小説なんでしょうが、二人称(おまえ)で話を進めるからどうしても感情移入出来ない。作者が客観的に自分を見つめ原稿用紙に叩きつけている感じだから、作者はよいかもしれないけど、読者は活字を通してこっち側にいる。私は作者本人じゃないから、いくら「おまえが」「おまえが」と言われても、「私は違う」としか思えなかった。二人称小説というのをはじめて読みましたがこれは駄目です。二人称にするなら、もう少し暖かく包み込むような感じであって欲しいというのは甘いか。

 ハマる人はハマるかもしれませんが、私的にはいまいちでした。
 これまで読んだ絲山作品の好印象がひっくり返された感じ。

妻の超然 (新潮文庫)

妻の超然 (新潮文庫)