「袋小路の男」
「小田切孝の言い訳」
「アーリオ オーリオ」
の3篇所収。
前2篇は、同じ登場人物、小田切に片想いする日向子の物語。腐れ縁というか、高校1年の時に好きになった小田切との奇妙な関係が描かれる。小田切は、作家志望の男。2作目に「小田切孝の言い訳」では文学賞の佳作に選ばれているけど、職業作家には程遠い。文学で食って行くのは大変です。
日向子がどんなにアプローチしても指一本触れない。かといって日向子の事が嫌いなわけじゃない。お互いに独身で、付き合ってるようなそうじゃないような関係って若い頃は良いと思うんだけど、本当にそのままでよいのかと思う。勿論日向子は小田切の事が好きだから、結婚を夢想したりする。でも結局ぬるま湯のような生活を続ける。
結婚をするというのは選択の一つかもしれない。でも結婚というのは2人の関係を違うステージに上げる事。それは手を繋いでキスをしてセックスしての延長線上にあるものだとやっぱり思うのです。結婚の一言で壊れてしまう関係ならそこまでの関係だと。男女の仲には色々な関係があっていいけど、健康な独身男女であるならお互いに次のステージに進む方が自然だと思うのです。関係の階段を昇るのは、勇気がいること。だからそれをしないで、今が一番居心地が良いという嘘か本当か判らない言い訳で自分たちの関係を停滞させる。
一人でいれば自分だけの責任で済みますが、人生ははいろんな意味で自分以外のものに対して責任を持つことだと思います。昔は周りからそういう環境に無理やり進められて、気が付いたら"大人"になることができたけど、今は自分の意思がなければ進めない。自由と言えば聞けはいいけど、大人になることを拒否しているとしか思えない。このままでは国は滅びます。
3篇目の「アーリオ オーリオ」も形は異なりますが、自分の殻に閉じこもっている男の話。救われるのは、中学3年生の姪とのデートから始まる"文通"を通じて、内省的な自分から一歩進むように感じるラストが清々しいこと。
絲山秋子の描く男性って、どうも女々しい。ワイルドな男というステレオタイプで有る必要は勿論ないのだけど、強い(というか虚勢を張っている)女を影ながら支える優しい男という図式は、男女のあり方としてそれもまた幻想なんじゃないかと思うんです。
それは私が汚れてしまってるからそう感じるのかもしれないけど、男だってそんなに強くないし、お互いに助け合うことで世界は成り立っていると思うのです。
- 作者: 絲山秋子
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 2007/11/15
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