(昨日下書き書いてたのが消えてた(>_<))
久しぶりにに新堂本を読む。
TV業界の内幕もの。新堂冬樹は小説家と新堂プロという芸能事務所を経営しています。その経験をもとに、虚実織り交ぜてドラマ制作の裏側を描きます。
主人公は、外注制作会社の女性プロデューサー、梨田唯。彼女が500万部のベストセラー小説のドラマ化権を獲得します。その手管は誠実とは程遠く、嘘で嘘を塗り固め、視聴率を稼ぐためにはすべてを敵に回してもかまわないという辣腕ぶり。しかしそれは、小さい頃目の前で自殺をしたTV局のプロデューサーだった父親の復讐の為、今は名プロデューサーとして君臨する、父親のかつてのライバル仁科を蹴落とすためだった。
主役が暴漢に襲われて制作発表後に主役交代をするという謎のアクシデントはあったものの、それすらも逆手にとって目論見は見事に当たり、ドラマは大ヒット。視聴率も目算通り30%越え。物語の中盤も、唯のスキャンダルでさらに視聴率は上がっていく。仁科はあらゆる手を使い、ドラマを妨害していくが、唯のほうが一枚も2枚も上手。ついに最終回を迎えるが…。
最近はTVドラマも映画もオリジナルが少なくてほとんどが原作付き。しかし原作を先に読んでしまうと、原作のイメージとのギャップを感じることが多い。それは、もっともなことで、小説は、自分の頭の中でギャラもスケジュールも関係なく当てはめることができるからで、それは自分にとって最高のドラマ化なわけです。しかし現実は、予算、スケジュール、TV局の思惑、プロダクションの思惑(無理やりキャストにねじ込むことを"行政"というらしい)、スポンサーの思惑などが複雑に交錯して、本当に満足のいくドラマになるのなんて1クールに1本あるかないか。結局無難な配役、無難なドラマが横行して、全体的にドラマ冬の時代になった。映画も莫大な予算をかけるから委員会方式で出資させるので、たくさんの意見を調整しないといけない。これまた冒険ができず、そこそこ視聴率の稼げたドラマの映画化となったり、知名度の高い原作付のえいがしかできない。
映画とかドラマって、表現媒体の一つだと思うのです。だから、安易に原作付きに走るのではなく、もっと冒険をすべきだと思います。昔はそれで充分面白い作品がありました。
この小説で描かれているのはちょっと極端だけど「多かれ少なかれこういうことをやっているんだろうな」って思ってしまうのは、読者に迎合した内幕ものなのか、それともフィクションの殻をかぶって業界を告発しているのか、真偽のほどは定かではありません。
いい加減視聴率なんていう、あやふやな指標を金科玉条のごとく扱うのはやめて、もっと良質なドラマとか映画、できないものですかねぇ。。
- 作者: 新堂冬樹
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2011/08/04
- メディア: 文庫
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