日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

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梅と桜と菜の花と(2日目)


 2日目、どこに行こうか何も考えておらず…(^_^;)。
 まずは、行きたかった世界遺産に指定された「韮山反射炉」に。
 

韮山反射炉は、現存する実用反射炉。2015年「明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域」のひとつに認定されました。

hpによると

1840(天保11)年のアヘン戦争を契機に、日本では列強諸国に対抗するための軍事力の強化が焦眉の課題となります。蘭学に通じた幕府の韮山代官江川英龍は、西洋砲術の導入、鉄製洋式砲の生産、台場の設置、洋式船による海軍の創設、洋式の訓練を施した農兵制度の導入など、一連の海防政策を幕府に建言しました。このうち、鉄製砲を鋳造するために必要な溶解炉が反射炉です。韮山反射炉は、1853(嘉永6)年のペリー来航を受けて、幕府直営の反射炉として築造が決定されました。■1853(嘉永6)年、伊豆下田にて築造開始。翌1854(安政1)年、下田に入港したペリー艦隊の水兵が敷地内に侵入したため、築造場所が伊豆韮山(現在地)に変更されました。1855(安政2)年、江川英龍は世を去ってしまいましたが、跡を継いだ息子の江川英敏が築造を進め、1857(安政4)年に完成しました。■ 江川英龍は、幕府の韮山代官職を務めた旗本で、管轄地の民政に優れた手腕を発揮しました。加えて、渡辺崋山蘭学者との親交も深く、日本の海防政策に西洋の進んだ技術を取り入れることを幕府に度々建言しました。自ら西洋砲術を各藩の藩士らに伝授するなど、日本における軍事の近代化の基礎を築いた人物の一人です。■ 韮山反射炉を築造するにあたって、1857(安政4)年、築造途中だった北炉完成のために、佐賀藩の技師田代孫三郎・杉谷雍助以下11名を招き、技術協力を得ています。佐賀藩における反射炉築造のノウハウが、他地域に伝播した例と言えます。■ 佐賀藩薩摩藩をはじめとして、幕末期の日本では各地に反射炉が作られました。しかし、そのほとんどが失われ、当時のまま残っているのは、萩と韮山反射炉のみです。特に韮山反射炉は、実際に稼働し、大砲を鋳造した反射炉であることが特徴です。■ 炉体は、外側が伊豆の特産品である伊豆石(緑色凝灰岩質石材)の組積造、内部が耐火煉瓦(伊豆天城山産出の土で焼かれた)のアーチ積となっています。煙突も耐火煉瓦の組積で、その高さは約15.7m。築造当時、煙突部分の表面は漆喰で仕上げられていました。■1922(大正11)年3月8日、敷地も含めて国指定史跡となりました。また、2007(平成19)年、経済産業省により、近代化産業遺産に認定されています。■ 明治維新後、陸軍省の所管となり、錐台等の附属機械は造兵司令に引き渡されました。そのため、現在残っているのは、反射炉本体のみとなっています。その後の反射炉は、荒れるままに放置されていましたが、英龍没後50年を機に「日本における砲兵工廠の鼻祖」として保存の気運が高まり、1908(明治41)年、陸軍省による補修工事が行われました。以後、1957(昭和32)年と、1985(昭和60)年から1989(平成1)年にかけて大規模な保存修理が行われ、耐震補強・煉瓦の風化防止処置などが施され、現在に至っています。


 補修されているとはいえ、100年以上前の反射炉が現存しているというのはすごいことです。鋳鉄技術というのは昔からあったんでしょうけど、刀や鉄砲と異なり、黒船を迎え撃つには大砲が必要。それは今までの製鉄技術とはスケールの違うもの。それを見よう見まねで、ここまで作ってしまうというのはやっぱり日本の底力を感じざるえを得ません。ただこの反射炉での大砲鋳造は、その後より高度な製鉄ができる高炉の技術輸入があり、1857年から1864年までと、たった7年しか行われていません。


 続いて、この反射炉製造の指揮を執った代官、江川英龍(太郎左衛門)邸に。英龍は江川家36代当主。号の坦庵としてもしられているそう。重要文化財指定の家は勿論立派なんですが、江戸後期、国を憂い、国防(海防)を考えて、反射炉完成に尽力を注ぐという心意気は、単なる一地方行政官の域を超えています。昔はこういう人がいっぱいいたんでしょうね…。


 

 さて最後、伊豆といえばいちご狩りw
 いちご狩りしたことなかったんですよね。ハウスの中に電球のようにたくさんのいちご。食べ放題だから、これ全部食べていいんですw 遠慮なく詰んでは食べ、詰んでは食べ、いちごだけでお腹いっぱいになるっていうのはなかなか贅沢な経験。

いちごの花って白いんですよね。

 そしていちご狩りセンターには、大きな菜の花畑が。

 今の季節の伊豆は、梅と桜と菜の花が楽しめる。友達に言われた通り、ステキな旅行でした。


 帰り、「もう1か所寄りたいところあるのよね」とカミさんの希望は、御殿場東山にある旧岸邸。激動の昭和の宰相、岸信介が晩年過ごした家です。和菓子のとらや工房が同敷地にあります。


そして、お土産に近くの二の岡ハムに。ここのハム美味しいんです。


 子どもたちも大きくなり、最近の旅行は夫婦で出かけることが多くなりました。寂しいと思う半面、まるで25年前に戻ったような。26歳で結婚、翌年には長男が生まれ4年後には長女誕生と、30〜40代は、子育て。もっとも私は何もしておらず専らカミさん任せで、ダメ父親でしたねぇ。罪滅ぼしにはなっていませんけど、これからは2人の時間も大切にしていこうと思っています。