芥川龍之介・青空文庫/kindle
よく「真相は藪の中」と言ったりしますが、その語源となったのがこの芥川龍之介の短編「藪の中」と初めて知りました。。
ベネチア国際映画祭で日本映画で初めて金獅子賞を受賞した黒澤明監督の「羅生門」は、この作品が原作で、同じ芥川龍之介でタイトルになっている「羅生門」よりも「藪の中」の比率が高いと思います。
藪の中で男の死体が見つかる。4人の証人と、山賊の多襄丸と殺された男の妻と殺された男(の霊をイタコが呼び出し口寄せする)の3人が、次々と証言をしていく話ですが、それそれの話がバラバラで何が真実かわからない。真実は一つなわけだから、誰かが、または登場人物すべてが自分に都合のいいように事実を捻じ曲げている。
事実とはいったい何なのだろう。
ある一つの事柄に対して、本来真実はひとつのはず。ところが、当事者ですら事実を改変して証言する。
目の前で妻をたくましい男に寝取られた男は、その不甲斐なさを隠すために。身体を奪われながら自害しなかった妻はそれを無言で責められた事に堪えかねて自分が夫を殺したという話と合わせて、それに信憑性を持たせるために、身を任せた女のサガを悔やんで、池に身を投げて自害を試みたと証言をする。山賊の多襄丸は、最初は男を殺すつもりはなかったが、女に請われて決闘をして自分が殺したと。
3人とも男は自分が殺した(本人は自害した)と証言する。本人は既に死んでいるのでともかくとして、多襄丸も妻も、自分が男殺しの罪をかぶろうとしている。まるでダチョウ倶楽部のコントだw
事実というのは、見方によって変わる。
戦争も歴史もすべて勝者側によって語られたものが正とされるけど、実は敗者には敗者の論理があって、その両方をもって真実というはず。ところが往々にして、勝者の語られるものが真実になりがちです。
関係者が複数いれば、その数だけ真実がある。それをどこで折り合いをつけるか。とはいえ、双方に言い分はあるわけで相容れない部分も当然あって、"喧嘩両成敗"的に一部であっても自分の語る真実が組み入れられないのは内心面白くない。
結局裁判というのも真実を探す、というよりも意見調整の場なんでしょうねぇ。
ということを考えました。
中高の頃、教科書に載っていたりした作品も、いろんな人生経験を積んで読み前してみると、いろいろな発見があるものです。

- 作者: 芥川竜之介
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