旧内閣安全保障室の初代室長を務めた佐々淳行さんが亡くなられた。享年八七。
佐々さんの著作は文春文庫で殆ど読んでます。最初に読んだのは『東大落城 ― 安田講堂攻防七十二時間』今から20年以上前になります。その後、『連合赤軍「あさま山荘」事件』 他、佐々さんは警察官僚時代に携わった数々の歴史的事件を自らノンフィクションとして書かれており、また、リーダーとしてのあるべき姿、危機管理のノウハウについても数多くの著作があり、実体験に基づく迫真の内容は大変参考になりました。
佐々さんは昭和5年生まれ。東大法学部を卒業して警察庁に。警視庁目黒警察署を皮切りに、香港日本国総領事館領事、警視庁公安部外事第一課長、警視庁警備部警備第一課長の時に東大安田講堂事件など一連の第二次安保闘争に対する警備実施を指揮。72年にはあさま山荘事件に派遣され、警察庁・関東管区警察局・警視庁等の幕僚団で警備実施をした。84年に防衛施設庁長官、2年後に退職し、同年内閣安全保障室の初代室長に就任。昭和天皇大喪の礼の事務取り仕切りを最後に、86年6月に退官。その後関連法人に天下ることなく、執筆活動や公園、TV出演で「危機管理」の必要性を訴え続けていました。「危機管理」というのも佐々さんの造語。
うちの父親の1学年下なんですよね。佐々さんの事をもう一人の父親のように見て著作に触れていました。激動の昭和の、正にその中心にいた。官僚として私利私欲に走ったり、安全な道を歩むことなく、半ば自ら求めるように数々の事件に遭遇し解決していく。どうしても目立ってしまう為、やっかみも相当あったようで、一部上司や仲間から疎まれて警察庁長官にもなれず、それでも与えられた場所で精一杯国家の為に奉仕した。退官後は天下りを是とせず、自分の経験を後進に伝える為に時間を注いだ。この世代の人は亭主関白なのは当たり前。家庭を顧みないとかDVだとかいろいろな噂はあり、家庭人としては欠陥があったかもしれませんが、今の尺度で昭和一桁世代は語れません。
頭が良いだけでなく説明もうまい。主義主張がはっきりとしていて生き方も含めてかなり感化されています。なので長いものに巻かれない、正しいと思うことは直言を辞さないようになってしまい、上には引っ張られず出世はしないわ、失敗したこともしばしば。佐々さんみたいに能力ないから当然ですが…(^_^;)。
もう佐々さんのお話が聴けないのは残念です。
しかし老衰とは…。天寿を全うしたという事なんでしょう。ゆっくりとお休みください。