この暮れも押し迫った中、やっと観れました。カミさんが付き合ってくれて夫婦50割でお安く。。
クィーン、小学5.6年生の頃好きだったんです。ちょうど背伸びをして洋楽を聞き始め、ベイ・シティ・ローラーズが日本を席巻していた頃です。「やっぱビートルズだよな」とか、「いやいやイーグルスの『ホテル・カリフォルニア』はいい」とか、ラジオをよく聞いていたり、年の離れたおにーちゃんおねぇちゃんのいるうちに行っては洋楽をステレオで聞かせてもらってました。
「愛にすべてを(Somebody to Love)」が好きだったなぁ。
その後、フォークからニューミュージックが台頭し、ザ・ベストテンが始まり、アイドル時代到来。洋楽から少し離れて80年代中盤からMTVやベストヒットUSAで洋楽に触れる機会が多くなり、シンディローパーとかマイケルジャクソンとか聞いてました。
クィーンはロックバンドでありながら、フレディマーキュリーの美しいボーカルとハーモニーで、他のロックバンドとは一線を画していました。長髪くるくるから短髪、口髭のスタイルになって、ハリのある高音で歌うフレディ・マーキュリーは本当にカッコよかった。
そのいでたちから昔からゲイだとはいわれていましたが、さすがにエイズで亡くなったと聞いた時、さもありなんと思うと同時に、もうあの歌声を聞くことができないという残念な気持ちになりました。
親日家で、「手をとりあって」とか日本語の歌詞を含んだ楽曲も作っています。日本公演の度に骨とう品を買い集めたり、ロンドンの自宅には日本庭園を設けていたとも。
「ボヘミアン・ラプソティ」は、フレディが、クィーンのもととなる、ブライアン・メイとロジャー・テイラーがいた"スマイル"に入るところから始まる。紆余曲折を経て「ボヘミアン・ラプソティ」を世に送り出す。当時はラジオでかけられる曲は3分以内。「ボヘミアン・ラプソティ」は6分近い。プロデューサーの反対を押し切って発売したこの曲は大ヒット。クィーンの名声を不動のものとします。
フレディは、厳しい家庭に育ち、特に父親からはいつまでたっても認めてもらえなかった。迷走するフレディ。男色もその一つ。バイセクシャルで常に愛を求め続けた。その結果のHIV感染。45年という短い生涯だった。
クィーンの楽曲は今聞いても全く古さを感じない。今でもCMやドラマで使われているから若い人も聞いたことのある曲が多い。それもこの映画が大ヒットしている所以かと。
ラストのライブエイドは、胸熱必至。これがまた再現ビデオ以上にそのまんまだから、すごい。ピアノの上に載ったペプシやビールの配置まで一緒wwフレディの仕草は勿論ブライアン・メイは本人にしか見えない。
(youtubeに比較動画がありました。)
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「音楽っていうのはドーナツの穴のようなものだ。 何かが欠けているやつが奏でるから、音楽になるんだよね」と、TVドラマ「カルテット」で言っていました。この映画はまさに名曲が生まれる"ドーナツの穴"を見ることができる映画だと思います。
クィーン好きは勿論、少しでも触れたことのある人にはお勧めです。ライブエイド、涙なくしては見れません。