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「共喰い」

共喰い (集英社文庫)

田中 慎弥著・ 集英社文庫
第146回(2011年下半期)芥川賞受賞作。
昭和63年7月が舞台。17歳の遠馬少年は、しばしば父の暴力的な性交を目撃する。父と同じ血が流れている自分ももしかしたら同じことに快感を覚えるのかもしれない事に嫌悪する遠馬。

巻末の瀬戸内寂聴さんとの対談で、田中さんは私小説は書かない(書けない)といってました。私小説でなければ純文学にあらず、という風潮は私もどうかと思っているのでその点は理解します。そもそも"純文学"というカテゴリーが一般の人を遠ざけていると思います。なんか"純文学"っていうとハードル高くなってこむずかしいことかいてんじゃねーの?と思っちゃいます。

 さて「共喰い」は、なんともグロテスクな物語でした。実の母親の仁子さんは、戦争中に空襲にあい右手首から先がない。父親と知り合い遠馬を産んだものの、父親の暴力に耐え切れず家を出たものの近所に住んで魚屋を営んでいる。今父親、遠馬と一緒に住んでいるのは飲み屋の女、琴子さん。
 遠馬には千種という同級生の彼女がおり、時折セックスをする関係だけど、遠馬はいつか自分も父親同様に千種を殴りながらセックスしてしまうのではないかと恐れている。そしてある日千種と関係している時に思わず千種の首を絞めてしまう。自分の身体に流れる父親の穢れた血に戸惑う遠馬…。
 暴力と性を不可分だという人がいるけどどうしても理解できません。暴力で支配し屈服する性交(往々にして男性が女性にでしょうが、反対も勿論あると思う)に、喜びがあるとはどうしても思えない。肉体的な交歓による喜びよりも、心の交歓の方が大切だと思うのです。
 だだ本質的な問題として、より強い子孫を残す行為と考えた時に、遺伝子の中に力による支配によって次の世代を創っていく、というのはあるのかもしれません。
 そういった人間の根源にあたる部分というのを克服してきたのが人間の歴史なわけで、今の時代、暴力と性を同一線上で語り実行しているのは文明に背を向けた行ないであることを自覚しないといけない。血の呪い?いやいや、悪しき歴史を克服する為に人は生きているんじゃないかと思うのです。
 併録の「第三紀層の魚」は、田舎に住む小学4年生の信道の物語。父は病死、祖父は警察退官後自死、90歳を超えた曽祖父、祖母の近くに母と2人で住んでいる。友田にの半分は塾に通い始めたが信道は関門海峡で毎日釣りをしている。
 「共喰い」もそうでしたが、魚の生臭い匂いを感じます。

  田中さんは、芥川賞での受賞コメント「貰ってやる」が印象的ですが、作品は、不遜な感じよりも真摯に文学に向き合ってきたんだろうなと思わせます。 

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共喰い (集英社文庫)

共喰い (集英社文庫)