明治大正期の近代建築、特に洋館が夫婦そろって好きです。
今回はポケカルの「渋沢栄一ゆかりの3邸宅と埼玉モダン建築巡りバスツアー」に参加してきました。
行ったのは、
・誠之堂(国重要文化財)(深谷)
大正5年に渋沢栄一の喜寿を祝って、渋沢が拠点としていた第一銀行の行員たちの出資により建築された建物。
・清風亭(深谷市指定有形文化財)(深谷)
誠之堂とともに、世田谷区瀬谷から移築された建物。
・埼玉県立深谷商業高等学校記念館(国登録有形文化財)(深谷)
埼玉県内で唯一、大正期の木造校舎の雄姿を完全なかたちで残す様式建築。当時の深谷町民にとって商業学校設置は悲願であり、地元有力者であった渋沢栄一や大谷藤豊などの尽力によって、大正10年4月に開校校舎はフレンチ・ルネサンス様式を基調とした和洋折衷の木造2階建校舎。大正11年4月竣工。
・旧石川組製糸西洋館(国登録有形文化財/特別公開)(入間)
石川組製糸により外国の商人を招くための迎賓館として建てられた、洋風木造建築。
・旧山崎家別邸(川越)
”時の鐘”近く。川越の老舗菓子屋「亀屋」の五代目である山崎嘉七氏の隠居所として建てられたもの。設計は、保岡勝也。保岡勝也は、東京帝国大学で辰野金吾(日本銀行本店・東京駅を設計)に師事し、建築学を学びました。卒業後、現在の三菱地所に勤務、中小住宅に関心を持ち、三菱地所を退社し、住宅や数寄屋設計者として活躍、大正7年(1918年)には、山崎家別邸近くの第八十五銀行本店(現在の登録有形文化財である埼玉りそな銀行川越支店)を設計。当時、五代目嘉七氏が第八十五銀行の副頭取を務めていたこともあり、保岡勝也の実力を認めた上で自身の別邸設計を依頼したのではないかと考えられているそう。
の5邸。
自分で行くとなると、タイムテーブルを組むのも面倒だし、座っていれば連れてってくれるバスツアーはとても楽ちん。
明治大正期の建物、特に洋館は、海外列強に追いつこうとした日本人の気概が感じられます。隅々まで丁寧に作られていてこのまま朽ちてしまうのはもったいないものばかり。
「旧石川組製糸西洋館」は、外国商人を招くための迎賓館として建てられたものですが、通常なら柱どん付けか、木材を曲げて作る階段手すりを1本の木から彫り出すという贅沢さ。各部屋の照明もすべて部屋の装飾に合わせて作られている。これを施工したのが宮大工だというから驚きです(設計/東京帝国大学で西洋建築を学んだ室岡惣七、建築/川越の宮大工関根平蔵)。
ここも上野の岩崎邸や駒場の前田侯爵邸同様、戦後進駐軍に接収されて改造されている。ったく当時のアメ公にはこの手の芸術を理解する事は出来ないらしい。
当時の建物を残すのは本当に大変です。耐震基準だけ考えても、現在の耐震基準に合わせることは至難の業。アメ公のいらぬ改造は勿論、市や県に寄付されても、前田侯爵邸とかは外観こそ往時がしのばれますが、事務所として使われていた過去があって床はリノリュム貼していたり、無粋な蛍光灯がぶら下げてあったり、なんだかなぁという感じ。それでも残してあればまだよい。都内の建物は繊細を免れただけでもめっけものです。
今の常識から考えれば、大変使いにくく、生活しにくいに違いありませんが、できる限り残してほしいなと思います。