日々雑感っ(気概だけ…)on Hatena Blog

思ったこと、思っていること。読んだ本、観た映画、TV。聴いた音楽…。会社でのこと、家族のこと、自分のこと。日々のうつろいを定着させています。はてなダイアリー開始は2003年、2006年4月から毎日更新継続中。2017年6月8日「はてなblog」アカウント取得、2019年1月「はてなダイアリー」から正式移行しました。アクセスカウンター2019年01月26日まではpv(2310365)です。

地方が生き残る道

 昨日の飲み会で、私が言った一言が彼女の逆鱗に触れた。
 「地方はもうだめだから、東京神奈川千葉埼玉だけでいい」
 暴論であることは承知している。でも現実問題として、東京から電車で1時間程度の街でも全く活気がなくなっている。若い人はより大きな街を目指し、山間部の集落はいまこの時も廃村になっている。
出生数から死亡数を引いた自然増減では、2016年に30万人の大台を記録して以降、17年は39.4万人、18年はなんと44.4万人も減っています。鳥取県の人口が56万人ですから、昨年1年間で鳥取県がほぼなくなっている。これは大変な事です。
 公園に騒がしいほどの子供の声が響くことはなくなり、夕方のお買い物の時間でさえ、街中に人はまばら。そんな光景が日本のそこかしこで現れています。
 
 私は実家を出て30年以上になります。戻りたい、という気持ちは全くありません。一方で生まれ住んだ町に愛着があって、出来れば戻りたいという人もいる。じゃ、もどればいいじゃん、と思うのです。田舎ではやりたいことができない、仕事がない、いやいや、選り好みをしなければどこに行っても仕事はあります。給料は安いかもしれないけど、その分支出も少なくて済む。お隣さんから野菜や魚が貰えて喰うのに困ることはない。何をもって人間的な生活というのかは分からないけど、自然と寄り添った生活ができるに違いありません。ではなぜみんな都心に出てきて帰らないか。なんだかんだやっぱり住みやすいんですよ。血縁ばかりの濃厚な人間関係に疲れて、隣にどんな人が住んでいるかも分からない。でもそれが良くて東京に住んでいる人が実は多いんじゃないかなと思う。
 
 江戸時代の人口は約3000万人くらいだったといいます。実に現在の1/4。なのに街には人があふれて、お祭りもちゃんと行われていた。ということは現代は決して人が少ないってことはない、ということになる。
 インフラという意味でいえば、水は井戸水だから水道管を引く必要はない。電気もなかったので電線を引く必要もない。道路も舗装されていなかった。何気に使っているこれ等のインフラは、維持するだけでも費用が掛かる。
 「ぽつんと一軒家」に対してこれらのインフラを維持するのは現実的に厳しい。
 こういった現代的なインフラを維持していくためには、人は集まって生活をするしかなくなっています。だから単純に江戸時代は今の1/4しか人がいなかったのに豊かな生活だったといっても、やっぱりそれは違う。

 会社も人も東京一極集中で、地方創生も掛け声ばかり。
 どうしたら地方が嘗てのような活気を取り戻せるのか。地方に魅力を感じる人は今すぐ地方に居をもって、その地方で暮らして、子を産み育てること。町の伝統を守って、共生する。東京なんて人ばかりで温かみなどなく、魅力があるのは地方だと発信し続ける。いや、発信すらする必要はない。観光客なんて一時的にお金を落とすだけで、一種のカンフル剤に過ぎない。
 
 江戸時代は、人の往来に制限があった。簡単に他の土地に住むことはできなかった。生まれ育った町や村で生きるしかなかった。そこで楽しみを見つけるしかなかった。時代は変わり、住みたいところに住み、就きたい仕事に付けるようになった。昔は商人の息子は商人になり、農家の息子は農家になった。武士の息子は武士に、職人の息子は職人になった。市川海老蔵の息子は歌舞伎役者になる。自由な往来、職業選択の自由。あらゆる規制がなくなった結果が、地方衰退の一つの理由。
 であれば、やはり地方に魅力を感じる人が地方に住んで、働き、地方交付税に頼らず、地産地消で生活をすることが一番良い事だと思うのです。


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