水平線や山の稜線に切り取られた空の方が尊いという人がいるけど、東京とその近郊に住んで30年以上、ビルの輪郭に切り取られた空が私にとっての空。
灰色のビルやガラス貼のビル、様々なビルの隙間から見える小さな空。
「井の中の蛙」というと、「狭い世界のことしか知らない」というネガティブな意味ですが、「されど空の蒼さを知る」と続くことで、「狭い世界にいるからこそ、その世界の深いところや細かいところをよく知っている」というポジティブな意味になる。
世界に目を向けることがすべて正しいわけじゃないのに、世界に出ようとしない事を肯定的に考える人は少ない。正直大きなお世話だし、世界を舞台に活躍する事が正解で、国内に拘ることが何でも駄目という風潮はどうもいただけない。
日本の事ですら全部知ってるわけじゃないのに、すぐに海外に行こうとする。日本語もまともにしゃべれないのに英語が喋れるか?
いつも見上げるビルの谷間から見る空は、狭いからこそ毎日色の違いが判る。
智恵子は東京には空が無いという
ほんとの空が見たいという
私は驚いて空を見る
桜若葉の間に在るのは
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。
高村光太郎の「あどけない話」という詩です。
私にとっての空は、何も考えていなかった子どもの頃に見た空じゃなく、辛い仕事でつい俯きがちな毎日の中で、ふと見上げるとそこにある”ビルの輪郭に切り取られた空”です。