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しんゆり映画祭の問題

白石和彌監督が『主戦場』上映中止に抗議!無料上映を決定

 開催中の第25回KAWASAKIしんゆり映画祭2019でドキュメンタリー映画『主戦場』の上映が見送られたことに抗議し、28日、映画製作会社若松プロダクションが2作の出品を取りやめた。それに伴い29日、同プロを代表して映画『止められるか、俺たちを』(2018)の白石和彌監督と脚本の井上淳一が都内で記者会見を行った。■ 同映画祭は“市民(みんな)がつくる映画のお祭り”と称し1995年にスタート。行政のバックアップを受けながら市民スタッフが企画・運営を行い、今年も意欲的なプログラムが並んでいた。その一つ「聞く・話す・考える~ヒントときっかけ~」と題した特集。賛否渦巻く問題を映画を通して考えようと、クジラ・イルカ漁をテーマにした『おクジラさま ふたつの正義の物語』(2016)と、慰安婦問題に切り込んだ『主戦場』を選んだ。■ しかし『主戦場』は現在、一部出演者が上映中止などを求めて訴訟を起こしていることから、共催団体の一つである川崎市から「市が関わる映画祭で上映するのは難しいのではないか」という懸念を示し、映画祭側はやむなく上映中止を決定した。この決定に対し、『主戦場』の配給会社である東風とミキ・デザキ監督は行政による検閲行為にあたると非難し、上映中止の見直しを何度も要請したが覆らなかったことを25日に公表した。■ この事態に、若松プロダクションは即座に反応。同映画祭、今年の目玉特集である「役者・井浦新の軌跡」と、若松孝二監督『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』(2011)、『止められるか、俺たちを』を抗議声明とともに出品取り下げを発表した。■会見で白石監督は「あいちトリエンナーレ2019『表現の不自由展・その後』の中止や、(麻薬取締法違反で逮捕されたピエール瀧が出演していることから)映画『宮本から君へ』の文化庁の助成内定が取り消しと、今年に入って行政が“懸念”を示すことで表現の自由の場が失われつつある中、『主戦場』の問題が起こった。若松孝二監督ならどうするか? と考えた時、多分上映は取りやめずに映画祭に参加して苦言を呈したと思うが、亡くなって月日が経つ中、今の社会状況ならこういう判断をしたのではないか」。■ 井上も「今の流れに強い怒りを持ち、その度に(自分たちの)“懸念”を表明してきたが、ついに自分たちが当事者となった。僕たちが行動を起こすことで他の人も立ち上がってもらいたいと思ったが、残念ながら、釜山国際映画祭が(行政の介入で)危機に陥った際に世界中の映画祭が共鳴したようなことは起こらなかった。今後も第2、第3のしんゆり問題が起きると思う。そうなる前に製作者もお客さんも考えてほしい。萎縮のドミノの連鎖を止めなければ」と強く訴えた。■ただし作品の上映の機会を奪ったことや、上映に尽力した映画祭スタッフ、何より楽しみにしていた観客のことを考えると苦渋の決断だったそうで白石監督は「寝られない日々を過ごしたし、今でも正しかったかとどうか」と表情を曇らせた。■ その代案として11月1日に『止められるか、俺たちを』、11月4日に『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』の無料上映とティーチインを映画祭会場近くの麻生文化センター(川崎市麻生区)で行うことを決定。同時に、上映キャンセルに伴うチケット払い戻しなどの負担を若松プロダクションが請け負うことを映画祭に申し出ているという。■ 会見後半では急遽、会場にいた『主戦場』を配給している合同会社東風の木下代表も参加し、「(若松プロダクションには)ご負担をかけてしまっていますが、こういった形で言葉で伝えていかないと、本当に表現の自由がなくなってしまうので、わたしたちとしてもきちんと訴えていきたい」と語気を強めた。■ なお映画祭事務局によると、『主戦場』の上映中止が明らかになって以降、映画関係者や市民から「お叱りの声や、作品としていい映画なのになぜ中止にするのか、という電話もいただいた」という。結果的に表現の自由を萎縮させることにつながる恐れがある判断だったことは認めつつ、やはり抗議電話や脅迫が相次いだ「あいちトリエンナーレ」の事例を考慮し、「観客の安全を確保するには、市民ボランティアの手では限界がある」として上映を断念することはゆるがないようだ。■ しかし、これを受け「しんゆり映画祭で表現の自由を問う」のオープンマイクイベント開催が急遽決定。『沈没家族 劇場版』(2018)を出品している配給会社ノンデライコの大澤一生や『ある精肉店のはなし』の纐纈あや監督の呼びかけで、30日夜7時から自由参加の形式で行われる。そこには映画祭の中山周治代表や市民スタッフも参加し、『主戦場』上映見送りの背景にあるものや、市民映画祭のあり方について話し合うという。(取材・文:中山治美)(10/30(水) 15:16配信シネマトゥデイ


 地元での映画祭がこのような形で話題になるのはあまりうれしい話ではありません。でも若松監督が存命であれば、同じ決断をしたと思います。
 しかしながら費用の半分以上を負担する川崎市が”懸念”を示すのは分かります。また主催は市民団体ですから、トラブルへの対応能力がないというのもその通り。であれば何故このような問題作を映画祭で扱うことにしたのか。そこら辺の気概のないまま、上映作品を選んだことがそもそも問題ではないかと思います。
 川崎市が懸念だけしか示さない、とありますが、あくまでも主催は市民団体。市が上映中止を求めればさすがにまずいと思いますが、中止までは求めていない(言外には言っているかもしれませんが)。
 お金を出す以上、何かしら問題が予測される場合に指摘するのは当然。それを公権介入と目くじら立てるのは大人げない。口を出されるのが嫌なら、市からの支援を受けずに私費開催をしないといけません。

 今回の問題は、慰安婦問題を扱った映画だから、という事ではなく、インタビューを受けた出演者が自分の意見を曲解されるような編集をされなおかつ商業映画として上映しないという約束が反故にされたということで訴訟問題に発展したということ。
 自由とは、無責任に何でもしてよい、という事ではないと思います。特に税金を使い映画を上映するのであれば、単に話題作りで取り上げるのではなくて、右の意見、左の意見の両方を上映し、パネルディスカッションをする、というのが正解。それでもそれでも予期せぬ事態は想定できるから、対応できないのであれば、そもそもそういうテーマは選ばないことが良いのではないか。

 映画で社会を変える。
 その姿勢はまちがいではないけれど、映画ってそういう社会派のものばかりではない。楽しくて心に響く、生き方すらも左右するものが沢山あります。今回の件は、市の対応を問題にするより映画祭の運営側の落ち度と言わざるを得ません。

 残念。

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