「都営大江戸線の路線名を決める際、いったん公募で決まった「東京環状線」(愛称は「ゆめもぐら」)を却下し、「大江戸線」と決定した。実際の路線が「6」の字を描き、完全な環状線ではないことが理由だった。」そう。
「東京環状線(ゆめもぐら)」…そもそも環状運行していないんだから「環状線」はあり得ない。しかも「ゆめもぐら」って、いい場合もあるでしょうが、公募に頼ると碌なこと人はならないことの証でもある。
もっとも、「新銀行東京」や「首都大学東京」も、石原都知事の鶴の一声だったようですが、新銀行東京は、2018年に東京都民銀行、八千代銀行と合併し、きらぼし銀行に、首都大学東京は、2020年のもとの東京都立大に戻った。ま、文学者でもある石原さんですが、すべて正しいってわけじゃない(^^;)。もっとも、もし石原さんが都知事だったら、山手線の新駅も「高輪ゲートウェイ」なんてだっさい名前にならなかったのではないかと夢想します。
近隣諸国に対してのみならず、アメリカに対しても持論を曲げず独立国としての矜持を持ち続けた石原さんは、周りの空気を考えず、それが軋轢となったり、マスコミから発言の一部を切り取られ上げ足を取られたりと、政治家としては決して器用な方ではなかったと思う。
ただもともと裕福な家庭に育ったから、金に汚い政治家ではなかったのは事実ではないかと。貧乏人や吝嗇が政治家になると、必ずと言っていいほど金の問題で失脚する。
文学者として、狭い井戸の中で自説を発表するだけではなく、世の中に影響を与えようとした。それはある点では成功し、ある点では失敗した。三島由紀夫も同様だったが、三島は自分の死をもって目覚めを促そうとしが果たせなかった。
純文学者として三島の意志を継いだのが石原慎太郎だったのかも。。
ご冥福をお祈りいたします。