正式名称は、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」。
一般的にはポツダム宣言を受諾し、武装解除を天皇が指示(玉音放送)した日の本日8月15日を終戦の日とするけど、ポツダム宣言の降伏文書を戦艦ミズーリ上で調印した9月2日とする説や、連合国各国結んだサンフランシスコ平和条約の発効した日の1952年4月28日も戦争終結の日と考えられている。
大東亜共栄圏や八紘一宇、満州国のスローガンである五族協和は、主に陸軍の”お題目”として重宝され、”侵略”と言われても仕方のない進軍をしたけれど、そもそも東アジア諸国は、アメリカ、ヨーロッパの植民地として簒奪されており、その盟主国が大日本帝国に変わっただけ。しかも、「アジア人なんて人じゃない」くらいに思っていた欧米人と違い、日本は少なくとも旧宗主国を追い払った後は各国の自治を認めた(傀儡という話もあり)。そういう意味では欧米型の植民地経営とは根本的に異なる。お題目であっても大東亜共栄圏を信じて戦った人は多くいた。
日本は、自国の為ではあるけれど、アジア各国を解放すること、そのきっかけになった事は間違いない。
資源のない日本が、大国アメリカに戦争を仕掛けた(ことになっている)のも、承服できない”ハルノート”を突き付けられて已むに已まれぬ事情があっての事。アメリカ国内世論は対日参戦は消極的だったけど、日本の真珠湾攻撃をあたかも”奇襲”に見せかけて世論を盛り上げた。
挙句の果てに、東京をナパーム弾で焼き尽くし、広島・長崎では一般市民を巻き添えにした核実験を行った。
戦後開かれた極東国際軍事裁判は、戦勝国による一方的な裁判、しかも事後法で裁くという裁判とは名ばかりの茶番。
だいたいA級戦犯とは「平和に対する罪」「人道に対する罪」を犯した人という意味で、本来それは戦勝国であっても免れることはないはず。
あ、ちなみに中国は第2次世界大戦後、すぐに内戦に突入した。日本が負けたのは今の中国ではなく、蒋介石率いる中華民国であって毛沢東の中国共産党ではない。韓国にいたっては、1910年の併合から終戦まで「日本」で、韓国は「日本と戦って独立した」とか言ってますが、そんな歴史はなくて、8/15以降はアメリカが38度線以南を占領し統治、1948年に李承晩が 朝鮮半島南部単独で大韓民国政府樹立を宣言してできた国。
日本は戦争で多くのものを失った。
だから、もう2度と戦争をしない、戦争を外交の解決手段としない、という考え方には私も同意です。
でも、何やかやといちゃもんつけてくる中国、嘘で塗り固めた歴史で敵対してくる韓国、唯我独尊のロシアなど、禄でもない国に囲まれている日本は、いつ侵攻されてもおかしくない状況。
なので彼らが侵攻してきて、国民の生命、財産そして国土が脅かされないようにしないといけません。
一部では、アメリカ他自由主義国家との協調も大切ですが、まずは「自分の国は自分で守る」ようにしないといけません。
いかに平和が大切だからといって、非戦を訴えるのは愚の骨頂です。非武装で話せばわかるなら、今のような問題にはなっていません。
終戦の日だからこそ、この平和な世界がどうしたら続くかを考える事が大切だと思うのです。
あ、終戦の日を”終戦記念日”というのは受け入れられせん。記念日って…。
ちなみにアメリカでは対日戦勝記念日という。だいたい終戦の日も正直納得いきません。
アメリカが戦勝記念日というなら日本は”敗戦の日”というのが正しい。
敗戦を忘れない、というと恨みが残っているようなので、戦が終わった日とするのはいいけど、なぜ開戦しなければならなかったか、そして敗戦に至ったかをしっかり考える日にしないと。
来年はついに終戦から80年。
そろそろしっかりと総括しないといけないです。