鈴木義昭著・ちくま文庫
ピンク映画というと「にっかつロマンポルノでしょ」と思う人が多いですが、にっかつロマンポルノの前に、様々な独立プロが裸を売り物にした映画を撮っていました。それがピンク映画。
1962年に協立映画製作、大蔵映画配給の『肉体の市場』がピンク映画第1号と言われています。
宣伝をしなくても裸がスクリーンに出るというだけで集客できるポルノ映画が映画人口が激減した中で大手映画会社が手を出すのにさほど時間は掛からなかった。
当時は1時間前後の映画を3本立で上映することが多かった為、当然自社制作の映画だけでは作品が追いつかず、スポンサーとなって独立プロで撮らせてそれを買い取るというやり方が定着してくる。
高校卒業したての自分がピンク映画にハマった1984~1986年頃は、そのピンク映画ですら斜陽の時期。この頃は、にっかつロマンポルノの女優さん達も綺麗だったり可愛かったりと質(というと失礼ですけど)が凄く上がっていました。
わざわざ映画館に行かなくてもレンタルビデオで可愛い女の子の裸が観れる時代になっていました。
一方で、ロマンポルノやピンク映画を観ていると、毛色の変わった映画、もっと言えば、裸よりも思想的なものが前面に出ている映画、例えば神代辰巳監督や若松孝二監督の作品がありました。もちろん、ポルノ映画として面白い作品もあり、それらの映画は、その後一般映画で活躍する森田芳光や金子修介監督、相米慎二監督でした。当時深夜番組でレポーターをしていた山本晋也監督の作品は底抜けに明るい作品でした。
フィルムは保存状況さえよければ100年は保つといわれていますが、独立プロで制作されたピンク映画はたかだか50年前しか経っていないのにその所在が分からないものが多いとか。実は80年代のアダルトビデオも既に所在不明なものが多いという。山本晋也監督や高橋伴明監督、黒沢映画の名プロデューサーで黒沢と袂を分かった後、変名を使い数多くのピンク映画を撮った本木壮二郎のフィルムもほとんどないという。更に、低予算で質の良くないフィルムを使っている為、劣化が激しくて見つかっても映写機に掛けられないらしい。にっかつロマンポルノもよいけど、量産されたピンク映画も間違いなく映画史の一部です。
木本壮二郎は、東宝を辞めた後、木本壮二郎名義でピンク映画は1本も撮らなかったそう。それも黒沢に対する仁義の切り方。
友達の部屋で孤独死した時、肌身はなさず持っていたのは、ベネチア映画祭での金獅子賞を取った時のトロフィだったそう。
恐らく映画屋として生涯を全うしたんでしょう。
その他、武智鉄二監督の公開されていないまさに幻の映画、「幻日」のフィルム発見に至る経緯、公開されなかった理由や、温泉場などで夜な夜な男どもが集まって観た「ブルーフィルム」についてなど、60年代~70年代のエロサブカルチャーとしてかなりスリリングで面白かったです。