巖頭之感
悠々たる哉天壤、遼々たる哉古今、五尺の小軀を以て
此大をはからむとす。ホレーショの哲學竟に何等の
オーソリチィーを價するものぞ。萬有の
眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。
我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。
既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の
不安あるなし。始めて知る、大なる悲觀は
大なる樂觀に一致するを。
1903(明治36)年だから、今から121年前。その前年に、第一高等学校(旧制高校、現在の東京大学教養学部と千葉大学医学部、同薬学部の前身)に入学し、順調にエリートコースを進んでいた男、藤村操が、日光華厳の滝から投身自殺を図った時、傍らの水楢の樹肌に遺書を記した。
「巖頭之感」は、実家が栃木なので、小さい頃から知っていました。華厳の滝のお土産売り場でA5版のポストカードを買いました。今でも売ってんのかな。
にしても、全文の意味が分かるかと言われると怪しい。
「萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く、「不可解」。」
…世の中のいろんなことの本当の事はただ一言「不可解」である。
「我この恨を懷いて煩悶、終に死を決するに至る。」
…色々勉強してきたけど、真実にたどり着けない自分は、死ぬ事に決めた。
「既に巖頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを。」
…今まさに華厳の滝口に立って、こころは平静を保っている。
そう、この場に立って、大きな悲しみは大きな楽観に一致することを初めて知った」
ってところですかね。
自殺の原因は諸説ありますが、失恋がきっかけとなっているというのも捨てきれません。
ただ失恋しただけで世を儚むほど頭が悪いわけはなく、あくまでもきっかけで、それまで考えていた現実のありようが結論がでない不可解であって、
1+1=2であるという考えで何事も割り切れるものではない事に嫌気がさしたんではないかと。
世の中は割り切れない事の方が多い。純粋であればあるほど生き難い。
自分が純粋だとは口が裂けても言えませんが、生き難さという意味では、藤村操に共感するのです。
でもなー、華厳の滝からの投身自殺はせんな。怖いし。
