今回の九州旅行の主目的は軍艦島(端島)上陸することでした。
数年前に長崎行の家族旅行を計画していたのですが身内が急病となり、旅行そのものがキャンセルになったことがあり、今回は2度目の挑戦で念願の軍艦島訪問となりました。
長崎港から南西約18キロメートル、観光船で30分くらい。東京ドームのグラウンド約5個分という小さな島に最盛期炭鉱関係者を中心に5200人もの人間が生活を営んでいました。当然狭い島だから、縦に伸ばすしかありません。大正5年(1915)に1棟目の鉄筋コンクリート作りの高層アパートが建てられる。これは本土の同潤会アパートよりも古いRC造集合住宅になる。以降全72棟の建物(5.6.7.23号棟のみ木造)がまさに”所狭し”と建てられます。当時、人口密度は東京の約9倍もあったそう。
島内には、病院、小中学校、映画館、商店、遊興施設など、生活に必要なものはすべて揃っていました。また、端島炭坑は賃金が高いこともあって、テレビなど家電製品の普及が早く、本土のTV設置数が10%前後だった時代に、端島ではほぼ100%だっただけでなく、洗濯機やステレオ(オーディオ)まで買っていたそう。
1970年代以降のエネルギー政策(石炭から石油、ガスに)の影響を受け、1970年に端島沖開発が中止になり、会社側が鉱命終了期を発表。その後数百万トンの石炭を残したまま1974年(昭和49年)1月15日に閉山し、1975年に全島民が島を去ることに。
その後、2008年9月に「九州・山口の近代化産業遺産群」の一部として、世界遺産暫定リストに追加記載されることが決まり、翌年1月に記載された。また、2014年10月6日に軍艦島は国史跡として文化財指定登録。世界遺産としては、明治期に作られた岸壁と海底坑道のみが世界文化遺産「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の一部として、世界遺産のコアゾーン(推薦資産)に指定されている。
実際に見ると、コンクリート造の高層建造物は、中の鉄筋が錆びてむき出しになりコンクリートがボロボロ剥がれ落ちている。昨年の台風で学校建物の最上階部分が崩落したと。長崎は台風の通り道だから、いずれ上陸も出来なくなることでしょう。
近代建築が滅んでいく姿は、廃墟マニアでなくても”兵どもの夢のあと”って感じで、なかなか胸に迫るものがある。
閉山が1974年と言えば、私も9歳だから、端島で暮らしていた人の中に同世代に人がいたかと思うと感慨深い。
なお、軍艦島は通称で正しくは端島。軍艦島というのは、当時の帝国海軍戦艦「土佐」にシルエットが似ていたからだそう。
軍艦島を後にして、帰りの飛行機まで、近くの大浦天主堂とグラバー邸に。
大浦天主堂は山の上にある宗教施設。江戸時代幕末の開国後、1864年(元治元年)に竣工。日本に現存するキリスト教建築物としては最古のもの。
1865年3月17日、浦上村の潜伏キリシタン十数名が大浦天主堂を訪れ、堂内にいたプティジャン神父に「私どもは神父様と同じ心であります」と、自分たちがカトリック教徒であることを告白した。
禁教とされて200年以上信仰を守っていたというニュースはキリスト教の総本山バチカンにも伝えられ「東洋の奇蹟」と呼ばれているそう。
歴史を感じるキリスト像、聖母マリア像。ステンドグラスの光が差し込む堂内は、荘厳な空間でした。
天主堂の隣のグラバー園は結構広いのですが、時間がなくてグラバー邸のみを見学。
幕末の貿易(武器)商人トーマス・グラバーの邸宅。この頃の商人というのは三菱の岩崎弥太郎もですけど、今じゃ考えられない金持ちだよなーと、庶民な私はそんな感想。
遅いお昼(トルコライス※ナポリタンとチャーハンととんかつとサラダがワンプレートになってる長崎名物)を食べ、一路長崎空港に。
結局、レンタカー走行距離は414km。
福岡空港~太宰府~湯布院~長崎、久々に結構運転しました。
薬飲んでたおかげもあって、落ち着いて運転できました。
久々のカミさんとの旅行。
緊張はしましたが、興味深い旅行となりました。
