ここにイエス御霊によりて荒野に導かれ給ふ、悪魔に試みられんとするなり。四十日四十夜断食して、後に飢え給う。試みる者来たりていふ『汝、神の子ならば、命じてこれらの石をパンに為らしめよ』と。答えて言い給う『「人の生くるはパンのみに由るにあらず、神の口より出づる凡ての言葉に由る」と録るされたり』(マタイの福音書4章4節)
要はそういうことなんです。
人間腹が減っては戦さが出来ない。だから腹を満たすことは大切だけど、腹を満たす事が目的になるのは本末転倒です。人な何のために生きるのか。神の言葉と言うと??だけど、精神的な満足を得る為に、というと合点がいきます。勿論、食べる事も重要だけど、それだけじゃないでしょ、と2000年も前の人が言ってるってことは、2000年前も如何にパンのみに生きる人が多かったかってことなんでしょう。人間って成長してないなぁ。。
なんか、仕事ばかりの時間を過ごしていると、こんな事を考えてしまいます。仕事をしている中で精神的充足を得ることもないとは言わない。でも、その幅は限られていると思うのです。交友関係もそう。仕事仲間や仕事で知り合った人でも大切な人や感銘を受ける人、素晴らしい人がいるけど、結局は仕事というフィルターが掛かっている。私が仕事以外の付き合いも大切にしているのは、人との関係が多ければ多いほど、人は、より崇高な精神に近付けると思うからです。
人を磨くのは人しかないというのが持論です。音楽や絵画や物語などなど、芸術は人の魂が籠っているものだと思います。だから広い意味では、そういったものも人を磨くものなのだと思いますが、それでもやはり直接人と接することの方が、人の魂は磨かれていくのだと思います。
判りにくいですね。。