3月22日に行われた大阪大学卒業式での文学部長金水敏氏の式辞が話題になっています。
ご本人のblogに全文掲載されておりますので、まずはそちらをご一読ください。
SKinsui's blog → http://skinsui.cocolog-nifty.com/skinsuis_blog/2017/03/post-ccef.html
一部引用させていただきます。
「文学部の学問が本領を発揮するのは、人生の岐路に立ったときではないか、と私は考えます。今のこのおめでたい席ではふさわしくない話題かもしれませんが、人生には様々な苦難が必ずやってきます。恋人にふられたとき、仕事に行き詰まったとき、親と意見が合わなかったとき、配偶者と不和になったとき、自分の子供が言うことを聞かなかったとき、親しい人々と死別したとき、長く単調な老後を迎えたとき、自らの死に直面したとき、等々です。その時、文学部で学んだ事柄が、その問題に考える手がかりをきっと与えてくれます。しかも簡単な答えは与えてくれません。ただ、これらの問題を考えている間は、その問題を対象化し、客観的に捉えることができる。それは、その問題から自由でいられる、ということでもあるのです。これは、人間に与えられた究極の自由である、という言い方もできるでしょう。人間が人間として自由であるためには、直面した問題について考え抜くしかない。その考える手がかりを与えてくれるのが、文学部で学ぶさまざまな学問であったというわけです。」
かくいう私も文学部日本文学科です。一時国語教師を目指してた事があって、文学部を選んだわけですが、確かに理工系の学校の方が社会に即戦力として役立つんだろうなとは思います。事実、友人で工学部に行きいまだに機械工学の設計を生業にしている人がいたり、当然医学部、薬学部にいった友人でその仕事についていたりして、4年間、6年間が社会の役に立っていたりします。
では文学部は社会の為にどう役立つのか。役には立ちませんね。ただ先生の仰る通り、自分の人生の中で決して無駄になっていることはないと、卒業して30年経ちますが、そう思います。
文学は"こころ"の有り様を探るための学問であると思います。
本を読まない人が多くなっているといいますが、一方で図書館は大盛況だし、書店に行けばたくさんの人がいて、多くの本が並んでいます。
ひとりの歩む人生は一つの人生ですが、本を読むことによってたくさんの人生を"体験"することができます。その経験もまた自分の血肉になって、自分の生きる指標になると私は考えます。勿論物語だけでなく、ノンフィクションでもよいし、漫画、映画、ドラマ、そういった創作物であっても同様だと思いますが、特に想像力を必要とする文字による作品は、更に強く心に刻まれるんじゃないかなとも思います。
一つの事の答えを導き出すためには、一つの言葉しか知らないよりは、より多くの言葉を知っていた方がより答えに近付くというのは正しいと思います。
もっとも、そんな小難しいことを考えなくても、本を手に取るとそこに自分とは違う人生、世界が開けていると考えるだけでワクワクしてきませんか?